<フッたり、フラれたりが人生>
フッたり、フラれたり、は男女の仲、恋愛だけの話じゃありません。
人生そのものがまさに、フッたり、フラれたり、なのです。
それが分かれば、肝に銘じることができれば、人生が嘘のように楽に
なります。
ただそれは、いうまでもなく、フッたり、フラれたり、しなければな
らないのです。ちょっと面倒ですが、それが人生なら甘受するしかあり
ません。
それにまた、そうでなければ、世の中は不公平すぎるように思われます。
もしも、フッたりが専門の人とフラれたりが専門の人にはっきりと分か
れてしまったらどうなるのでしょう?想像もできません。だってそれは
もう人の世の中ではあり得ないからです。
<フラれたことのない人は可哀想>
たまに、「アタシ今までフッたことはあっても、フラれたことはないの」
なんて、自慢げにいう人がいますが、あれは嘘っぱちですからご安心を。
あれは大抵フラれる前にフっているか、すごく鈍感か、かのどちらかです。
そのうち誰にも相手にされなくなるでしょう。
受験校にも、就職先にも、ビジネスの相手にも、結婚相手にも、夫や妻に
も、自分の子どもにも、今までフったことはあってもフラれたことがない
ように見える人がごく稀にいるかもしれません。でも僕はそういう人を
可哀想だとは思っても、羨ましいとは思いません。
だってそういう人は、人間なら誰でも経験することを経験してないからです。
そういう人はとっても孤独なのだと思います。誰とも心が通じ合うことがな
いからです。
脳みその襞は学問をすれば刻まれるかもしれませんが、心の襞はフッたり
フラれたりの繰り返しの中で初めて刻まれるものです。この心の襞は深ければ
深いほどお互いに共鳴することができます。喜びも悲しみも分かち合うことができます。
<幸せな結婚生活の数式>
これを数式にしますと・・・・・・
Y=aX=Y=aX・・・・・
となります。Yは(心の)入力で、Xは出力、aは共鳴の係数です。
フッたり、フラれたりの経験がない人はa <1です。ある人はa>1です。
a
<1の人は体験という入力があるたびに小になって、心が干からびてい
きます。逆にa>1の人は数式の中で心が豊かになっていきます。
結婚というイベントは今までの人生の延長線上にあるのではないと思い
ます。新たな人生の始まりです。ゼロからの出発であり、創造的な試みです。
それまでの物差しで何もかもを測ろうとしても土台無理な話です。そもそも
が心と心の繋がりというものは流動する状況の中で培われていくものですから、
一つの物差しで測り切れないことがいっぱい出てきます。
そんな中で決定的な役割を果たすのが共感する力がどれくらいあるかだと
思います。そして結婚生活の中で、さらにそういう力が養われていくのだと思い
ます。フッたり、フラれたりの体験は豊かな人ほど素敵な家庭を築いていくこと
ができるのだと思います。
<頂きと裾野で>
頂きにいると下しか見えません。裾野にいると上しか見えません、、いえいえ、そ
うじゃなく、周りが見えます、そう、ようく見えるんです。頂きにいると少ししか
見えません。
裾野にいるといっぱい見えます。たくさんの人がいて、色んな人が色んなことをしたり、
思ったりしているのが見えます。
「初心忘るるべからず」というのは、裾野にいる自分を忘れるな、裾野にいた頃を忘れるな、
ということかなと思います。
頂きにいると、断崖絶壁から真っ逆さまに墜落することがあります。
でも、裾野にいると、たとえ寝ぼけてたってそういうことはありません。
だから、頂きにいると、少しの間ならともかく、長くい続けると、いつも怯
え続ける、怖くてしかたがない、ということにもなりかねません。
ある娘が言いました。「私フラれちゃった。
それを聴いたお爺さんが言いました。
「そんなこと大したこっちゃない。君は愛してくれない男を一人失っただけだが、
君をフった男は愛してくれる女性を失ってしまったんだから。」






















