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目次
何でも物差しで測る悪い癖
、
ケットまで、どれくらいの距離があるとか、歩いてどれくら
いの時間がかかるとかくらいならわからないでもありません
が、もし、人間までそのように測って、驚くべきことに納得
したような気分になってしまうのだとしたら問題です。
万物は物理的にいって相対的であるから物差しもわからない
ではありませんが、その肝心の物差しそのものが相対的であ
るのだと思います。
実寸をわかりやすくするためにタバコの箱を置いたりしま
すが、そのときの気分次第で大きくなったり小さくなった
りします。
夜空のお月様なんて、気分次第で、やけに大きくなったり
小さくなったりしますが、実際は五円玉の穴にすっぽり収
まるくらいの大きさです。
直径が3,476km、地球の4分の1で、地球との距離が35km。
なんていったところで、ピンとこないからすぐ忘れてしまい
ます。
、
人間は物差しで本当に測れるのか?
、
私たちにとってのお月様はウサギが餅つきするようなところ、
ということで一向に構わないし、何の支障もありません。
であるから、私たちが人間を物差しで測って何が見えてく
るかというと、かえって何も見えなくなるのではないかと
思ったりします。
というより何も見えないのがわかってるから、物差しで測ろ
うとするのかもしれません。
そしてそうやって測ったものが下手すれば一生ついてまわる
ことになり、そしてよせばいいのに、ご本人も後生大事に、ご
位牌みたいに抱き続けます。
何が勿体無いかといってこれほど勿体無いことはないといつ
も思います。
特に子どもたちにご位牌を差し上げることだけはやめにして
もらいたい。特に親や教師が、、、ということになるとこれ
ほどトンチキなことはありません。
子どもっていうのは一人一人がかけがえのない”例外”なので
です。整合的で理屈の通ったものである必要なんかなにもあ
りません。普通の大人なんかにも、普通以上の大人にもなる
必要はありません。そのまんまが一番いい。
きっと人間っていうのはそのまんまで生まれて生きて死ぬよ
うにできているのだと七十六歳のジイさんは思っています。
、
思考の統一を図るのが教育?
、
さてここで、エピソードを一つ・・・・・・・・・
明治時代末期のお話。通称ビリケンこと寺内正毅という軍人
がいました、長州閥出身という幸運にあずかったのか、彼は
栄進を重ねました。
日露戦争の折には陸軍大臣に抜擢、大正になると元帥に列
せられ、さらに後年には爵位まで拝しました。
思惑通りか思いもかけずかは、知る由もありませんが、帝国
陸軍の要職人事の頂点を極めてしまったのです。
その晩年の伯爵殿が、ある日の事、当時の陸軍大学校の教頭
であった井口省吾を呼びつけました。
そして訝しげな彼の顔をねめつけ、いかにも居丈高に、お説
教を始めたのでした。
「おそれおおくも天皇陛下統帥になる帝国陸軍の最高学府の
長である自らの職責を、君はなんと心得ておる!!」
「教科書もなくしてなんのための大学校であるか?職務の怠
慢も甚だしい。」
「教科書をもって学生の思考の統一を図ることこそ教育なる
ものの本旨ではないのか。」
「恐るべきは何であるか。学生たちの頭脳が不秩序に流され
てしまうことである。」
、
世の中はかくすればかくなるものではない
、
この頭ごなしの言動に、
日露の陸戦参謀として、天才的頭脳を謳われた井口省吾は職
を賭してかく猛然と反撃しました。
「教科書とは生身の一個の人間がつくるものであります。にも
かかわらず一旦なってしまえば、教条となり、権威となりま
す。」
「こうして教条となり、権威となれば、教官たちとしては、こ
れを専ら踏襲するよりほかないのであります」。
「いま教官たちは、懸命に研究研鑚これを重ね、頭脳の限り
を尽くして学生たちに立ち向かっております」
「さすれば、学生たちとしても、啓発啓蒙盛んにして、これに
相呼応しておる次第であります」
「まして戦いの現場においては、かくすればかくなるという
定式はございません」
「それどころか、融通と柔軟性の根本的欠如は、時として致
命的な障害となりかねないでしょう。かくすれば、助かるべ
き将士の尊い命が多数犠牲となります。そしてまた、国運の
浮沈にもつながりかねないのであります。」
「本校は日本帝国の士官教育を代表すべき場所であります。
そこにおいて優先すべきは、右に倣えの教育では断じてござ
いません。」
「状況をみての応用であり、独創であり、勇断であります。
かような目的のためには、教科書は不要であり、弊害となる
場合も少なくございません。それでもなお教科書をつくれと
おっしゃるのでありましたら、私も教頭を辞めさせていただ
くほかありません」
かくして井口省吾はやがて野に下り、ビリケンは昭和の軍閥
政治の基盤をつくり、戦後にまで続くリゴリズム教育の路線
を敷きました。
、
杓子定規によって脳みそがダメになる
、
”リゴリズム”とは杓子定規のことです。無能な人間ほどこの
リゴリズムへ通じるといわれてきました。というより、杓子
定規で物事、特に人間を測っていると無能になるのです。
そして現代の脳医学によって、そのことが科学的に証明さ
れました。リゴリズムで大脳の最高中枢である前頭前野が
萎縮するのです。
かくして無能で四角四面の人間が大量生産されることに
なります。そしてこれこそ日本人がひたすら右に倣えの羊
の群れになるという冗談みたいなストーリーが始まるわけ
です。
それでも特別な支障もなく暮らしていけるなら気にかける
こともないでしょう。でも結婚して家庭を営むことを思う
場合にはやはり気に掛かることがたくさんあるような気が
してなりません。結婚とは人と人の心の繋がりに他なりま
せんからね。
男と女の、夫と妻の、親と子の絆は生きていく上で最も
大切なものであると思います。その絆はとてもデリケート
なものですから、あまり四角四面に接していると大変なこと
になりかねないような気がしてなりません。、
レット、イット、ゴー、ありのままで。あまり堅苦しく
考えないようにしましょう。
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