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秋の昼下がり、むつみ会に届いた電話
ある秋の昼下がり、むつみ結婚相談所専用の電話が鳴りました。オフィスの入り口に掛けた「OPEN」のプレートが、ちょうどアイビーの若葉で彩られたドアに揺れていた瞬間でした。
「結婚相談のお問い合わせかな?」と考えながら受話器を取ると、若い女性の声が聞こえてきました。
丁寧な対応が第一印象を作る
「はい、熊本の結婚相談所むつみ会でございます。」
私の電話対応は、若いころから「ハキハキと、元気に、明るく」を心がけています。これは、初対面の方に対する“ジェントルマンシップ”の一環。友人からは「電話の応対がプライベートと営業で別人みたいだ」とよく言われますが、別に営業用というわけではなく、私はいつでも「一期一会」を大切にしているんです。結婚に関しては、まさにその最たるもの。
取材の目的を聞く
その女性、Sさんは「実は結婚相談の要件ではなく、取材のために来ました」と話し始めました。
「未婚時代というテーマで特集を組んでいて、好評なら単行本化を考えているんです。」
私も驚きましたが、興味深いテーマに感じました。それにしても、どうして熊本のむつみ会に取材に来たのでしょう?
むつみ会の歴史と当時の状況
「実は、むつみ会が昭和40年代に創業したと伺っています。まだ他には結婚相談所がほとんどなかったと聞きました。」
「その通りです。むつみ会は、父が66歳、母が55歳の時に始めたものです。東京には『日高パーティー』という結婚相談所がありましたが、熊本での開業はまさに先駆けでした。」
母は、「これが人生最後のお勤め」と言っていたそうです。それが天職だと信じて、事業を始めたのでした。
両親の「天職」の思い
母は「お金儲けを抜きにしてできる仕事」という思いでこの結婚相談所を立ち上げました。ビジネスライクではなく、ビジネス抜きではない、という独特の立場で成婚を結びつけてきたんです。
当時、入会金は2000円、成婚料は1万円。今から考えると、驚くべき価格です。
結婚相談所としての使命
「当時、社会は高度経済成長の真っ只中で、多くの人が金儲けを優先していました。しかし、私たちの両親はそれを嫌い、結婚という新しい家族を作るためのスタート地点を、金銭的なものにしたくなかったんです。」
その姿勢が、ビジネスモデルとして成り立つことはなかったけれど、真心を込めて相談に乗ることが、後の社会に必要とされるものだと気づいたのです。
「婚活」という言葉の裏側にあるもの
「婚活をただの『今』として捉えるのではなく、未来に向かう架け橋として考えなければならない。」
私たちが生きている時代だけでなく、未来へ続く命の連鎖を意識することが、結婚相談所としての本来の使命だと感じています。
父と母の言葉を思い出し、私もまたその思いを引き継いでいきたいと感じています。
家族の大切さを感じる
母がいつも口にしていた言葉、「今は一粒の種かもしれないけれど、百年後には大きな森になる」—それが、むつみ会の理念の源です。
結婚相談所の仕事は、ただのビジネスではなく、次世代に向けた架け橋となる重要な役割を担っているのです。