寂しくってたまらない。
光る風のなか、花吹雪の中をそぞろ歩いていると・・・・。
電車の窓越しに、山裾まで広がる菜の花畑を眺めていても・・・・。
ガッタンゴットン、ガッタンゴットン。
春雨に濡れそぼる紫陽花の花びらに、なんとなく心惹かれて足をとめるとき、
入道雲の下、夏休みのだだっ広いグラウンドを駆けていても、
寂しくってたまらない、のはどうしてなのだろう。
そんなこと誰にもわからない。
でも最近少しだけわかったような気がする。
寂しくってたまらないのは、きっと自分だけじゃないんだって
私ってどうしたんだろう?私って何者なんだろう?って。
そんなこと分りゃしない。死んでしまわない限り。そりゃそうさ。
だから、生きてる限り、みんな寂しくってたまらない。そりゃそうさ。
そんなふうに諦めてしまえば、少しは楽になるが、諦めなければいつまでも
寂しくって、死んでしまいたくもなるだろう。
誰にだって不運は訪れる、足音を忍ばせて。そしておそらく誰もかもがそっと
離れていく。薄汚れた野良犬を手を振って追い払うように。
でも怖いものは逃げれば追いかけてくるだろう、いつまでも、どこまでも、
まるで自分の心の影法師のように。
じゃあ逃げなければいい。逃げなければいつかはわからないが、不運はきっと
運に化けてしまう。不運も運のうち、ピンチはチャンスの始まりかもしれないし。
寂しがりやは生きてる証拠なんだって思えばいい。
何かの役割にがんじがらめになってると、いつまでも自分にはなれない。
みんながそうやって自分になれないから、きっと寂しくてたまらない、のだろう。
人のことを気に病みすぎるから、きっと寂しくてたまらないのだろう。
横文字にすると、ロンリーは孤独だが、ソリチュードは孤高である。
「孤高」は寂しくてたまらないなんて言わない。孤高は自分勝手ではない。いろんな
しがらみから自由になったということである。やり甲斐のあること、生きている実感の
あることにしか惹かれない。
・・・・ということだと思うのだけど。
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