・
ごまかしのきかないオシャレとは?
みんなオシャレです、本当にびっくりするくらい。ファッ
してて、まるでモデルさんが写真の中から出てきたような
人だっています。
むかしはみんな貧しかったので、オシャレしたくてもでき
ませんでした。でもどんなに粗末な身なりをしていても、
ひとつだけ素敵なオシャレがありました。それは・・
目のオシャレです。
アイシャドーをしたり、付けまつげをしたりすることでは
ありません。そのまんまで素敵なオシャレのことです。目
は心の窓というますから、心がとてもオシャレだというこ
とかもしれません。
また、それは年齢不問です。いや、それどころか齢を重ね
るほどにオシャレな眼差しになる人だっています。怖いと
いえば怖いですね。誤魔化しが一切効かないオシャレです
から。きっとあなたの周りにもいらっしゃると思います。
ただ年々そういう人が年々少なくなっているように思える
のはとても残念です。どうしてなんでしょう?
さて・・・
目が見えない人の目
むかしNHKで「青年の主張」という成人の日の特別番組が
ありました。その中でとりわけ印象に残ってるのがありま
す。目が見えない一人の女子高校生の”青年の主張”。
目が見えないのに瞳がキラキラと輝いていました。目が見
える人よりずっと・・・。
開口一番彼女は言いました。
「私は目が見えません。でも今では目が見えなくなって本
当に良かったと思っています」
・・・・その瞬間会場は静まりかえりました。
囲碁には”目あり目なし”というのがあります。ここでいう
「目」とはむろん身体的な「目」ではありません。”目あり”
というのは生きている石のことで、”目なし”というのは死ん
でいる石のことです。
英語では”EYE”というだけですが、日本語の「目」は身体的
な目であるEYEはむしろ例外的で、いろんな意味合いで使い
分けられています。人間はいくつもの目を身につけている
のです。
「いい目を見ない」の目は運命やツキのこと。
物事の段取りは「目処」。「
鵜の目鷹の目」は好奇心。
「目出たい」は、喜ばしいこと、だったり、あるいはマヌケ
なこと。
その他、大目にみる、日の目をみる、大目玉を喰らう、裏目、
尻目、木目、針の目・・・・。
日本では「目が見える」とは、なによりもそういうことに他
ならないのです。目に見えない心の動きがよく見えること、
喜びや悲しみに敏感であること、生きとし生けるものの光と
影、強さと弱さ、可能性と限界、、、、
EYEと眼はどこが違うのだろう
でもEYEによると、目で見える世界が全てで、盲目は盲目以
外の何ものでもありません。
そもそも私たちは目で見ているのではなく、頭で見ています。
網膜に映るのはただの無機質な信号であって、頭がそれに姿
形を与えています。であれば、聴覚や嗅覚からも、、、特に触
覚(体感)なんかは五感の王様のようなものです。
それでも、外部から入ってくる通路もEYEなら、その人の内部
から放射されるのもEYEです。後者はその人を、その人の内部
世界を正直に映し出します。どんなに誤魔化そうとしてもそう
はいきません。
オシャレは由来を辿ると見えてくる
人に他愛無く騙される人は多分それを知らない人なのでしょう。
政治家も実業家も学者も友達も、それから女性や男性も、EYE
ではなく「目」をようく見なければなりません。
身なりはどんなに貧しくても、「目」がお洒落ならいいのです。
お洒落とは・・・由来を辿ると見えてくるもの、なのです。
結婚相談所を六十年あまりもやっていますと、いつまでも印
象が残っている方がいます。それは着飾った人でもなく、お
化粧が上手な人でも、教養豊かな人でも、見目が整った人で
も、おしゃべりが巧みな人でもありません。
目がオシャレな人です。これだけは決して見間違いようがあり
ません。目は口ほどに物を言う、といいますが、それどころ
ではありません。目は人の生き方を否応なく放射する光のよ
うなものなのかもしれません。