今の若い世代の人たちには身に覚えがないかもしれません
が、私たちいわゆる団塊と言われる世代の小学校時代
（昭和二十年代から三十年代）までは日本はとても貧しか
ったのです。
そのあと戦後の奇跡と言われる高度経済成長期が来て、
みるみるうちに世界でも有数の豊かな国へと瞬く間に生ま
れ変わりました。
ですから私たちは、三食にも事欠く貧しい日々から、どん
どんと豊かになっていく、どこかみんなが浮かれたような
日々、そしてバブルが来てポシャって、失われた十年か三十
年か知りませんが、何かしら不安に満ちた今現在というよ
うに三つの時代を知っています。
貧しかった時代には、豊かになりさえすれば、幸せになれ
るんだと本気で信じていました。しかしその通りになった
かといえば、自信を持って断言することができません。
人間っていうのは本当にわからないものだと思います。無
い物ねだりと言いますが、そのないものが手に入ったその
時は確かにハッピーな気分になります。でもそれが当たり前
になってしまうと、そうでもないんですね。
そうでもなくなった時にどうなるかと言いますと、どうも
二つのタイプに別れるような気がします。
もっともっと豊かになりたい、もっと豊かになればもっと
幸せになれる、今幸せでないのは豊かさがまだ足りないか
らだと考えるタイプの人たちと、必ずしもそうは考えない
タイプの人たち。
後の方の人たちはこういうふうに思ったりします。どうもこ
れは思ってたのとは勝手が違うなあ。豊かになれさえすれば
じゃなかった。あれはひょっとすると幻想ではなかったか。
もちろん豊かになるのに比例するように幸せを感じる人は
いますが、夢や憧れの的だったそれと現実との間にギャッ
プを感じる人もいます。どこか虚しいなと、、、。
ブータンという国では国民総生産量ではなく、国民総幸福
量を目指していると言われます。その国民総幸福量を何で測
るかというと、子どもたちが笑顔であるかどうかだそうで
す。それを最大化するために政治というものはあるのだと
いうのです。政治をする人たちもそうですし、親もそうです。
子どもたちの顔から笑顔がなくなったら、どんなに国民一
人一人の収入が増えても、子育ては失敗だと考えるわけです。
私たちの子ども頃の家といえば、今頃の季節になれば大抵
部屋の中に冷たい隙間風が入ってくるし、暖房器具といえ
ばストーブの代わりに火鉢（炭火）があるきりでした。ジ
ャンパ−なんてないし、セーターも母親の手作りですから、
母親が忙しいとセーターもなしです。
別に苦労話をするつもりはさらさらありません。ここで言
いたいのは、だからこそ家族みんなが心を寄せ合って生き
ていたのだということです。
今時隙間風で寒い思いをしなければならないことなんてほ
とんどありません。寒い冬も暖房は万全です。でも部屋の
中はポカポカでも、家族一人一人の心のなかには冷たい隙
間風がスースーと吹いているということはあります。
どちらが幸せでどちらが不幸せか、、、
なんて野暮な質問はしません。
ただ、あのお兄さんとお姉さんの新婚の風景は貧しさたち
によって祝福されていた、ということだけは間違いない、
ってよりそう思いたい。
もしもです、あのとき私たちが凍えていなかったら、お腹が
いっぱいだったら、床に豪華な絨毯があったら、絨毯の上
にふわふわのソファーがあったら、もし天井には裸電球で
なく、シャンデリアが煌めいていたら、六十年後の今ここ
にこうして追憶に浸ることもなかったろうと思うのです。
あの頃、新婚とは貧しいのが当り前でした。文字通りゼロ
からの旅だちでした。そして少なくともあの「お兄さん」
と「お姉さん」は、愛情さえあれば生きていける、誰より
も幸せにもなれる、そう固く信じていたに違いない。
だって、あの時私と二人の友だちは確かにあの屋根裏部屋
で、彼と彼女の溢れるような幸せの分け前に預かったの
ですから。
あの時代にはそういう幸福のカタチが紛れもなく存在して
いたのです。
あのピアノの弾き語りの歌い手は、哀愁を帯びたといっても
いいくらい淋しい眼差しをしていました。歌声もそうです。
でも、ぼくの昔話（もう二人ともこの世にはいないでしょ
う）に出てくるふたりは明るさで輝くようでした。
ぼくたちはそんな二人の世界の分け前にあずかっていた
のです。いまだに思い出すと胸の奥の一点が痛いくらい熱
くなります。
もしも、あの二人が『あなた』で歌手が憧れたような素敵
な新居に住んでいたなら、記憶の欠片もなかったかもし
れません。
文字通りのゼロからの出発です。
あの頃はそんな無い無い尽くしの新婚さんは少なくなか
った。
いずれにしても、あれがぼくにとっての恋愛と結婚の
原風景となったのはまちがいのないことです。
　　　　　　　　　　　　　（その❸に続く）