何を勘違いしているのやら、、、、
私たちが仏壇に手を合わせ、先祖を敬うのは、なにより
彼らが子どもや孫を愛おしみ、その行く末に骨身を削っ
たからでしょう。でなければ血はつながらなかった。
親や祖父母やそのまた親の祖父母の無私の愛情の積み重
ねの上に私たちの現在はあるし、そんな私たちはといえ
ば、子や孫のためにある、なんてことを言うつもりはさ
らさらありませんが、子や孫がいるといないでは私たち
の人生の重みが違ってきます。有り難いと言う気持ちが
おのずと湧いてくるものです。
父の倒産のために私たちの父と母は赤貧の中で私たち兄
弟姉妹四人を育て上げてきました。
貧しかったか豊かだったかは天の定めのようなもので、
貧困の中の少年時代を親のせいだと恨んだことはありま
せん。でも父や母の気持ちは違うでしょう。
人並みのことをしてやれなかったという慚愧の念に苛ま
れこともあったでしょう。
それでいいのではないかと思います。そんな親としての
切ない気持ちこそ、むしろ子どもにとっては宝物のよう
なものであり、かけがえのない教訓にもなるのだと思い
ます。だからこそ、仏前にお花を添えたくなるのではな
いかと思います。
もし親のせいで俺たちはこんなに惨めな思いをしなけれ
ばならない、何て恨みがましいの気持ちが少しでもあっ
たとしたらどうでしょうね。
不思議なもので、それはそのまま自分自身に跳ね返って
きて、多分十倍にも二十倍にもなって、ほかならぬ自分
自身の心を苛むことでしょう。
その逆に、親が我が子に向かって恨みがましい思いを抱
くこともあります。
親として人並み以上のことを、世間の誰に対しても恥ず
かしくないことをしてやったのに、アンタは、、、なん
てことになったら、親の、じゃなく子の立つ瀬はありま
せん。そしてまさにその時から親から子へそのまた子へ
という尊い絆は断ち切られてしまうかもしれません。
そして親も子もひょっとすると世の中を恨み続けて生き
て行くことになるのかもしれません。
それは私たち人間なるものが識らずに識らずのうちに落
ちてしまう悲劇の落とし穴かもしれません。
というわけで、、、
この際ですから、はっきりと、もっと突き詰めていって
おきますと、こういうことでしょうか。
かくいう私自身も、そしてあなただってなんらかの偏見
の虜であるかもしれないということです。
学歴とか、美醜とか、職階とか、キャリアとか、果ては
知性のあるなし、良心のあるなしとかまで、もし身に覚
えがない方があればチョッとしたものですね。
あなたは、なんの意味も、なんの得もないのに、高台に
住む人たちのように、他の人たちを見下ろした事があり
やなしや?ありやなしや?
だいたい、子供同士のいじめってのは、親の振り見てやっ
てる。ウチのとーちゃんみたいな大人になっちゃダメよ、
なんて、奥さん云っちゃダメですよ。
難しいかもしれないけど、できるだけ心の中でも思っちゃ
ダメ。そりゃ確かにダメ親父かもしれないけど、それを云
っちゃお終い、だってあなただってねえ、、、。
真っ裸の自分が見えてるやつは、人のことをとやかく思い
ません。
さて、話はいささか飛んでしまいますけど、
婚活の相談に来られた若い方(特に男性)がモテるかど
うかも幼児期で決まります。つまり親の人となりや生き様が
否応なくそこに投影されるからでしょう
外面的な結婚の条件がどんなに揃っていてもモテない人は
モテない。そこらへん少々瑕疵らしきものがあってもモテる
人はモテる。そういう現実を何度見せつけられてきたやら。
考えるだに不可思議なものです。
日本語で”生き様”っていいますね。大好きな言葉です。
ザマ見ろとかザマねえやは最悪の悪口ですが、生き様がスッ
キリというのはサイコーの褒め言葉で、それさえあれば
天下無敵!なのだと心から思います。
今までむつみ会結婚相談室に縁があったそんな”天下無敵”
の独身男女の皆さんはお互いに素晴らしい相手とめぐりあい
素晴らしい家庭を例外なく築かれました。
と言いましても幸せを絵に描いたような、ということでも
ありません。
幸せは絵にできる。不幸せは絵にできない。その通りです。
私達夫婦だって、わざわざ不遇な時代に戻りたいとは思い
ません。それは誰だって同じでしょう。
しかし、しかしです、、、不幸せな人しか幸福を絵にするこ
とはできないのです。そうは思いませんか?
それが人の心ということなのだと思います。
何があってもそれなりに乗り越えていける、どんなに曲がっ
てもポキンとは折れないで、その一つ一つが尊い体験となっ
て、竹の節のようになっていく。そんな竹の節を子どもたち
はしっかりと見ていないようで見ているのだと思います。
そんな子や孫はとても強いというかしぶとい。
人の生き方は二つに一つに集約されるものだと思います。
穴ぼこに落ちるか、穴ぼこから這い上がるか。どんな石橋を
叩いて渡っても、穴ぼこに落ちる時は落ちます。
そんな例をいっぱい見てきたような気がします、七十年以上も
生きているとです。
そして穴ぼこに落ちて、しばらく姿を見かけないなと思って
いると、突如として晴れ晴れとした顔を見せてくれる、残念
ながら少しの人と、落ちっぱなしで待てど暮らせど顔を見せ
ない多くの人がいました。
もしあなたなら、どちらの子や孫がよろしいでしょうか?
そしてそれははっきり言ってあなた次第だとも言えるのです。
子どもがモテるかどうかは、親の生き様につきます。理屈じ
ゃない。そもそも下手な理屈が何にでも通用すると思ってい
るなら、人間というものへの理解が浅薄に過ぎるのだと思
います。
学歴やキャリアはそりゃあるに越したことはないでしょう
が、それをやたらにひけらかす(きょうび増えてきたみたい)
人間は、それしか自慢のネタがないことを期せずして告白し
ているようなもんだろうと思います。
そういう人種を好む人たちもいますが、それは要するに同じ
穴のムジナというわけで、おそらく結婚しても仮面の夫婦
になるのがオチだろうと私は思います。
個人的な嗜好を言えば、僕が愛してやまないのは風雪が刻
まれた顔。正直吐き気がするのは平板な顔、光も影もそこ
にはない。人間やその人間同士の夫婦生活、また家族の
履歴というのは、光と影の中でしか生まれない。光だけでは
眩しすぎ、光がなければ絶望しかない。どちらにしろ人は耐
えられない。
書物で読んだり、他人様の経験を見聞きして学んだ諸々は
要するに頭のシワです。でも自分で体験したことは心のシワ
となります。そしてそんな心のシワこそが本当に役にたつ
知恵となるのだと思います。
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