目次
美人コンテストと経済学
美人コンテストの世界一の美女とは一体どんな存在なのでしょうか?
かの有名な経済学者ジョン・メイナード・ケインズは言いました。「あんなものは当てにならない。株式投資と同じようなものだよ」と。株式投資では、有望株かどうかよりも、投機筋の顔色をうかがいながら売買を決めます。美人コンテストも同様に、審査員の顔色をうかがいながら世界一の美女が決まるのです。必ずしも自分が一番綺麗だと思う女性に投票するわけではありません。
審美眼と他人の影響
この理論は美人コンテストだけでなく、一般的なことにも当てはまるかもしれません。私たちも日常的に、自分の審美眼より他人の意見に左右されがちです。その結果、誰もが認める“天下の美女”が決まってしまうのです。結局、ニンゲンの目、そしてノーミソとはそんなものなのかもしれません。
美人の苦悩と美の儚さ
誰もが認める美女に祭り上げられた女性の中には、「余計なお世話だ」と思う聡明な方もいるでしょうが、舞い上がってしまう女性の方が多いのが現実です。このような女性は、結婚相手には困らないかもしれませんが、ロクな男とは結婚できない可能性が高い気がします。
「美人薄命」とは言いますが、実際には美人が薄命なのではなく、”美”の部分だけが儚いのです。美には長持ちするものとそうでないものがあり、ミスコンテストに登場するような美女は、残念ながら後者に該当することが多いのです。
男性にも当てはまる美の儚さ
男性だって同様です。美男コンテストがないだけで、かつて“世界一の美男子”と騒がれたフランスのアランドロンも、昨年老衰で亡くなりました。若かりし日の面影はほとんどありません。それに反して、年齢を重ねることでさらに魅力を増す男性もいます。こうした人々は、結婚相手としても素晴らしい選択肢となるでしょう。
結婚相手に求めるべきは美しさだけではない
結婚相手に求めるのは、見た目の美しさだけではなく、年齢を重ねるごとに磨かれる魅力や、内面的な豊かさが重要です。結婚を後悔しないためにも、自分の目と耳を信じることが大切です。見た目だけで選んだ相手は、結婚後に思わぬ後悔を生むことがあるため、心の琴線を揺さぶられるかどうかが最も重要です。
自分だけの「美」を見つける
美男美女を伴侶にして友達から羨ましがられるかどうかではなく、自分がその人と一緒にいることで幸せを感じるかが大切です。あなたが心から素晴らしいと感じる相手こそ、世界一の美女や美男となり得るのです。
人生を共にする相手とその子どもたち
そして、そのような二人から生まれた子どもたちは、紛れもなく世界一の美女と美男から生まれる世界一の子どもとなるでしょう。こうして世界一だらけの世の中が広がれば、それこそが本当の意味でワンダフルなことではないでしょうか。
実際に見た世界一の美女たち
私は学生時代、ある有名な高級ホテルでアルバイトをしていました。その年、日本でミスユニバースの世界大会が開催され、その流れで各国のミス代表たちが熊本市にやってきました。宿泊先は私が働くホテルで、三食とも私のフロアのカフェテリアで食事を取ることになりました。目の前には世界の美女たちが勢揃いです。
私の感想は、正直言って「こんなもんか?」という感じでした。まず、プロポーションが現実離れしていて、ほとんどの美女は九等身くらいあり、身長も高すぎました。また、地域によって美女の基準が大きく異なることを強く感じました。私たち日本人の感覚では、欧米の美女たちは好みではありません。手足が長すぎて、鼻が高すぎると感じました。ショーウインドウの中なら映えますが、生活感のある現実の世界では、どうも違和感を覚えました。
結局、生活感が大事
私は、やはり足が大根で、ヒップが逞しく、生活の匂いがする日本の女性、せめてアジア系の女性が魅力的だと感じます。