臨死(ニアデス)体験は、臨床例が半端じゃなくなって、
もっともそんなもの認めたくない外科医を中心に、
科学者の間でも普遍的な現実になりつつある。
そもそも、科学とは、あるものを証明するもので、
ないものを証明するものではないのだから、
当然の成り行きとも言える。
だが、エマヌエル・スウェーデンボルグ(1688〜1772、
スウェーデンの天才的科学者、哲学者)にしてみれば、
臨死体験はあの世という家の入り口を垣間見たにすぎな
い。
彼はといえば、その家の全体を探索した。
彼はそのことについて議論をしようとはしなかった。
説得しようとしても徒労に終わることは分かりきってい
る。
真理はそれに耳を傾ける人に受け入れられば十分だった。
簡素で静謐な肯定があれば十分だった。
``
そんなスエーデンボルグ氏が断言するには、
「生命とは愛であり、愛なくして喜びはなく、また、愛な
くして生命の存続はない」
そして中でも絶妙ともいえる愛の形は”結婚”である。
彼の前に示された結婚における愛の表象は、
「空色を帯びた多様な虹と金色の驟雨」だったらしい。
夫婦は一心同体などというが、親子の間でもこんなことは
いわない。一心同体でなければ元がアカの他人同士が、
とても偕老同穴とはいかない。
(同じお墓になんかヤダよというのは、同じ穴のムジナ
というのかなあ)。
義父母(妻の父母)なんか見ていてつくづく思ったのは、
自分がいて相手がいるって話じゃない。相手がいなくなる
と自分がいなくなり、相手が苦しんでいると自分も苦しむ。
そんな主客が一つとなった形。たまに喧嘩なんかしてても
ね。
僕の実父が息を引き取る直前、母は一言「ごめんね」って。
父は「ノーノー」って、死ぬ前に初めて英語を使った。
僕たち子供にもわからない、長年連れ添った、苦楽を共
にした間だけに通じる符合、最期の声無きラブレター。
そんな夫婦がいて初めて、それにふさわしい子孫が後に続
く。小細工はきかない。
僕はそれが結婚なのだと思う。誰がなんと言おうと。
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