結婚しない、のじゃなく、できない
<その2>
*
結婚したいけど、できない、
のはどうしてなのか?そのわけ。
<その1>では主に経済的な面から考えてみました。確か
に世の中から中間層がすっぽり抜けて、経済的に恵まれた
人や社会的なステータスが高い人と、その真逆な無数の人
たちがいるという歪な社会のありかたは、多くの結婚した
くても結婚できない人たちを生み出しています。そしてこ
の傾向はこれからも続いていく、いやもしかするともっと
ひどくなるかもしれません。
非婚率が増大し、したがって出生率が全国平均で、首都圏
並みに1以下になってきますと、人口はあっというまに先
細りになっていき、若いひとがいなくなり、世の中から活
気が失われていきます。子どもたちの歓声が聞こえない火
が消えたみたいな世の中なんて真っ平ですね。
ではもし、そんな経済的な要因が取り除かれた場合はどう
なのでしょうか?結婚難の時代は遠い昔の話になってしま
うのかどうか。結論から言いますと、私にはどうしてもそ
うは思えないのです。少しは改善されていくかもしれませ
んが、まだ問題は残りそうです。
”デフォルト”という言葉があります。二様の意味合いがあ
って、一つは、、、初期設定。といえば難しくなりますが、
未来に向けての道筋があらかじめ決められていることです。
余計なお世話だねといいたくなる、アレ。
結婚ということに関していえば、結婚適齢期というのがあ
らかじめ決まっていて、半世紀以上前、つまり熊本の結婚
相談所、というよりも結婚相談所なるものが現れた頃には
二十四、五歳くらいがそうでした。
三十歳の声を聞くといき遅れなるありがたくない異名を頂
戴することになり、本人も親も肩身の狭い気がしました。
それで、結婚相談所の私たちもついこんなジョークを飛ば
したりしていました。
「二十九歳の次は三十歳ですね。じゃあ、三十歳の次は何
ですか?三十一歳?いえ、四十歳ですよ」なんて。今時は
そんなジョークは通用しません。結婚適齢期は本人が結婚
したくなった時、三十歳になろうが四十歳になろうがそん
なことは二の次になります。
年齢だけではありません。一事が万事でそういうふうにな
っています。世間の常識を振り回す事自体が時代遅れにな
っています。多様性の時代なんてもいいますね。個の時代、
主体性が全ての時代。でも残念ながら口先だけ。
結婚以外の人生の選択肢でもそうであるかといえば、
これがそうでもないのです。今まで以上にデフォルト、世
間の常識、石頭的な感覚が人々を縛っているように見えま
す。その代表格が学歴偏重ですし、職業の選びかた、なん
かです。
もうそろそろ学校の成績イコール人間としての能力でも
社会的な可能性でもないし、特にこれからの未知の未来を
切り開く力どころか、ブレーキにさえなっている気がしま
す。仕事も自分に合ったものを選べばいい。もう肩書きな
んて蹴飛ばして、自分の適性を軸にして生きていく方がい
いのに、、なんて個人的には思っていますが、みんながとも
すれば世間の常識に流されて、取り憑かれたように決まった
レールの上ばかりを走りたがります。
なぜかしら結婚という問題ばかりが、世間の常識というハ
ードルをまるで親の仇のように蹴飛ばしてばかりのような気
がします。それにインターネット社会というものが拍車をか
けています。確かにオンラインでは今まで想像もしなかっ
た広い範囲というか空間から、実に手軽に理想の結婚相手
と巡り逢えるような気がしないでもありません。
しかし、ここでとても大事なことを忘れちゃいませんか、
といいたいのです。識者たちは婚活の黄金時代がきたとば
かりに有頂天になっていますが、私たち結婚相談所という
現場で現実の世界と直面しながら仕事をしている人間にと
って、はどうしてもそんな気持ちにはなれません。インテ
リジェントの戯言のように思えます。
だって、結婚というのは選ぶということでもあり、同時に
選ばれるということでもあるからです。選ぶ方がどんなに
自由を謳歌しても、選ばれる方はどうなのでしょうか?
選ぶ自由が大きくなればなるほど、選ばれる方は小さくな
っていかざるをえません。選ばれるのに自由はないのです。
近代になってからいうもの、自由と平等はセットで語られ
ることが多い。確かに自由とは美味しい言葉ですし、平等
も美味しい言葉です。でもこの二つの美味しいものが一つ
の皿に乗っかることは滅多にありません。これが偽らざる
人間の生きている世界の現実です。現代という時代におい
てなくてはならないものは、選ぶものの視点でも選ばれる
ものの視点でもなく、選ばれないものの視点なのだと思う
のです。
選ばれる人がいれば、当然ながら選ばれない人も出てきま
す。その基準が納得のいくものであればいいのでしょうが、
果たしてどうなのでしょう?
自由と平等を一つの皿に乗っけるために必要なもの、それ
は心の広さであり深さなのだと思います。それがあるのか
ないのか?さていかがなものでしょうね。
選ぶ自由が大きくなればなるほど、結婚できない人が減る
かといえば、現実には逆にどんどん大きくなっています。
切り捨て御免になっています。
選ぶ自由を謳歌している一部の恵まれた人たちは、切り捨
てられることはないにしても、その結婚生活が本当に満た
されたものであるかとなると、これまた別の問題になります。
デジタル教育で子どもたちの頭は空っぽになるという警鐘が
聞こえはじめましたが、デジタルによる結婚も中身のないも
のになるのかもしれません。
”デフォルト”のもう一つの意味は「破綻」です。結婚相談所
というステージで私たちは日々結婚をめぐる現実と向き合い
続けているわけですが、デジタル結婚も頭でっかちの識者の
新しい結婚観も現実からかなりかけ離れたところで繰り広げ
られているような気がしてなりません。
現実とは生き物であり、しばしば理論のようなものとは異な
る顔を見せます。インテリジェンスはいわば理論の盲信者の
ようなところがあり、現実と素直に向き合えないという欠
点があります。しかし理論とは現実から抽出されたものです
から、現実を理論に近づけるだけでなく、現実と照らし合わ
せて理論をレベルアップしていく柔軟な姿勢もなくてはなら
ないと思うのです。
「破れ鍋に綴じ蓋」といいますと、あまりいい意味では使われ
ていないようですが、なかなか含蓄のある名言だなと思
います。だって欠点のない人間なんていませんし、又そんな人
間ばかりだとシャバは住みにくくて仕方がないと思います。
欠点だらけの人間がお互いを支え合って生きていくのが結婚
生活というものではないかと思うのですが、いかがでしょ
うか?
結婚したくないのじゃなく、結婚できない。家族ができない。
生きるのが一人なら、死ぬのは孤独死。日本列島のあちこちか
ら悲鳴が聞こえてくるようです。まあ、こんな状況がいつま
でも続くとは思いませんが、一口にしていえば生まれた時代が
悪かったと思うか、それとも・・・・もし越えられないよう
な高いハードルがあるなら、蹴飛ばしちまえ、なんて私なら
考えます。考えるだけでなく、熊本の結婚相談所に来られた
方たちには、ハッパをかけています。いや逆にこちらがハッ
パをかけられることだってあります。ありました、これまで
何人もです。そういう人たちは私たちにとって宝物のような存
在であり、また世の中にとってもそうなのだと思います。
だから、あなただって、、、そうあなただって、そうなろうと思
えばなれると言うことです。そう言う自由は誰が何と言おうが
世の中がどうなろうが、奪いとることが自由なのだと思います。
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