あなたはお母さんのお腹から生まれたかもしれません。
では、お母さんは?そのまたお母さんのお母さんはどこ
から生まれたのでしょう?あなたも私も確かに両親から
生まれましたが、子は親から生まれたとしても、だから
と言って親のものかといえば、、、、それは永遠の謎で
す。あなたや私は誕生する前は”無”の中にあって、あな
たや私という”有”になり、やがて年老いて再び”無”に帰っ
ていきます。 さて、、、 ”失われた大地”
、、、、それは、禁断の言葉、、、だと思います。
原子力研究の良心といわれる、小出裕章、京大原子炉実験
所助教授の報告によると、福島の放射線管理区域とは、そ
の「失われた大地」にほかならないようです。
半永久的に人が住めない、取り返しがつかないという意味。
失われた20年が30年でも、そんなもん取り戻せるし、失わ
れた預貯金?財産?そんなもん屁のカッパです。
国だって戦争で一旦なくなったが、戦後再生しました。と
かげのシッポ切りみたいなもんです。
国敗れても山河あり、だったらどうにかなります。でも山河
が敗れたらどうでしょう、何にも残りません。生きる場所
どころか死に場所さえなくなります。
あなたはお母さんのお腹から生まれたかもしれません。で
も、お母さんのお母さん、そのまたお母さんは?あるいは、
およそヒトたるもの、いえ全てのいのちたるものはどうい
うことになるのでしょう?今現在、あなたが、この瞬間、
そこに、存在しているということの根拠は何なのでしょう?
明治の哲学者、西田幾太郎は「場所の論理」という斬新な
切り口で世界をあっと言わせました。それをうけて、和辻
哲郎は「風土」という概念をうちたて、世界の哲学の常識
を変えた。これは何千年もの歳月を農業で生業を立ててき
たアジアの人たちでしかわからない感覚でした。大地と自
然の恵みに感謝しながら生きてきた人たちの嘘偽りのない
思いでした。大地はすべての生命の母で、それ無くしては
一日たりとも生きてはいられないということをよく知って
いたのです。これは多分よくも悪しくも、列島の中で濃密
な文化を育てきたアジアや日本からしか出てこない出てこ
ないアングルです。
つまり、彼ら彼女らとしてこう言いたいわけです。「そこ」
がないあなたはどこにもいない。良くも悪しくも欧米化され
た世の中には”そこ”がありません。
今私たちの世界はすっかり欧米化してしまったためにその
ことを忘れてしまったかのように見えます。近代は西洋か
ら出てきた文明で、その西洋の文明は農耕主体ではなく、
狩猟採集を基盤にしたものでした。そこに獲物がなければ
あるところに移動していきます。生命を維持するためになく
てはならないものが”そこ”になければ、”そこ”から移動す
ればいいだけの話になりがちです。
日本人の場合は常に周りの自然の諸条件との調和を第一番に
考えます。庭一つ作るにしてそうです。敷地内に大きな樹木
や凸凹があっても、それを少しでも生かそうと考えます。通
り道をつくるにしても、点々とジグザグに石を置いたりしま
す。「ししおどし」にしても、水は上から下に流れるものだ
というこだわりからできたのでしょう。
欧米スタイルは全く逆になります。邪魔な樹木は片っ端から
伐採し、凸凹は平らにならし、レンガや石板を敷き詰め、あ
るいは芝生を植えます。通り道はあくまで真っ直ぐで、池は
まん丸で中央には下から上に水を吹き上げる噴水を作ります。
一事が万事このようで、そこには思想の根本的な相違が見受
けられるような気がします。周りとできるだけ共存していこ
うというのと、周りは異質なものであり、自分たちと同じよ
うに変えていくものという征服の考え方です。
私たちの社会もどうやらそういう征服をもってよしとする思
想に急速に馴染んできたような気がします。
僕は小学校に入る前の期間を佐賀県の唐津市という小さな町
で育ちました。そこには一木一草まで忘れがたい思い出と物
語がぎっしり詰まっています。おばあちゃんにおててをひか
れていった在所の山里なんかは特にそうです。人家といえば
点々とあるだけの自然に囲まれた世界でした。三十年ぶりに
懐かしくて訪れた”そこ”は宅地として開発されてみるも無惨な
姿を晒していました。今はどこもかしこもそうなのでしょう。
私たちの存在とは、、、そういうかけがえのない思い出抜き
では語ることなどできないような気がします。命が湧き出で
て帰るところ、ふるさとと言ってもいいでしょう。地球には
引力があり、それなしでは生きていけません。それと同じよ
うに、私たち一人一人にも、それぞれに引力が働く場所があ
るような気がします。生命の起源と言ってもいいようなかけが
えのない場所があるような気がします。`
いのちは愛ということばにかえてもいいでしょう。愛はこころ
とこころ、いのちといのちにかかったガラスの架け橋のよう
なもので、こわれて破片となったガラスの架け橋を、元の姿
に戻す事はできません。美しいものを汚したら、もうきれい
にすることはできません。そして地球もそんな、はかなくも
美しい愛であるような気がします。
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生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
・・・谷川俊太郎
結婚ということも自分たちだけの”そこ”をつくるとても人間
的な営みのような気がします。非婚は自分だけの”そこ”をつ
くることでまた別の問題になります。昔は非婚はどこか人生
に失敗したという不安感が付き纏いましたが、今ではそうい
うことはありません。既婚者と非婚者が共存するというのが
当たり前の時代になりつつあります。
ただ一つ言えることは既婚が当たり前の世の中では問題にな
らないことが、非婚が当たり前になってきますと、単なる社
会問題ということをこえて、生物学的な、あるいは民族学的な
問題として浮上してきます。なぜならどうしても人口の減少に
直結してくるからです。日本の現在の出生率のままですと200
年後には日本という民族は消滅すると言われています。これも
自然の摂理なのでしょう。もちろん未婚の女性でも子どもを
産み育てることはできますが、大勢の家族という器があるか
どうかは見逃せない問題になりがちでしょう。
我が家は特に亡き母の頃から三世代同居の大家族で、今も息
子夫婦と孫二人が同じ屋根の下に暮らしています。それで痛感
するのは日々の暮らしにゆとりが生まれてくるということです。
それは経済的なというより、精神的な問題としてです。
そこで育っていく子どもたちの立場からいえば確かに実りが多
いということはあるように思います。大人が一人ですと、どう
してもものの考え方が偏りがちになりますが、その点で幅広さ
や膨らみみたいなものがが出てきます。それになんといっても
愛情の問題です。多くの身近な大人に愛情を惜しみなく注がれ
て育った子どもは、実感として大人になった時多くの人を偏り
なく愛することのできる人間に慣れるような気がします。
木や花も豊かな土壌の上ではそれだけ生き生きとした大きな
木や花になるのと同じなのだと思います。命は愛情がなければ
枯れてしまいますし、逆に注がれる愛情が大きければ大きいほ
ど豊かな生命力に繋がり豊かな人生に通じていくのかなと思い
ます。
亡くなった母の口癖は、、「今はたった一本の木かもしれない
けど、五十年もたてば林になり、百年もたてば森になるかもし
れないのよ」でした。
熊本の結婚相談所むつみ会を初老にさしかかっって立ち上げた
のもそういう思いが根底にあったからなのだと思います。その
頃日本全国を見渡してもほとんど見当たらなかった結婚相談所
もいろいろな形で雨後の筍のように増えてきましたが、本来な
ら結婚相談所というものがなくても自然の出合いがふんだんに
あるのが理想なのだと思います。なぜなら結婚相談所というの
はビジネスにならざるをえないからです。ビジネスと結婚とは
どこかしら不自然な結びつきなような気がします。それで母も
半分ボランテイアのような形で長い間続けてきました。そのた
めに経済的には随分辛い思いをしてきました。でもだからこそ
半世紀もの間続けてこれたのかもしれません。
結婚相談所があまりにもビジネスライクになりすぎると目に見
えないところで大きな弊害が出てくるような気がします。人に
とって最も大切なかけがえのないものは金銭には馴染まない
ような気がします。
熊本の結婚相談所むつみ会は力の及ぶ限りそういう思いだけは
金科玉条にしていきたいと思います。
”生きているということ、今生きているということ”
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