”自分探し”の旅に出る、とかナントカよく言います。
”山のあなたの遠く、幸い住むと人のいう。われひとと
とめゆきて涙さしぐみ、かえりきぬ”。
これはカールブッセの有名な詩ですね。この「幸い」と
いうのも今までの自分じゃない、新しく生まれ変わった
自分ということを意味しているのかもしれません。
そして、、、涙さしぐみ、かえりきぬ、となります。
さてところで、この”自分探し”には、ある大前提のよう
なものがあります。
それは何かといいますと、世の中がどんなに変わろうと、
地球の裏側に移り住もうと、またどんな人と出逢おうと、
自分という人間の本質的なところは変わらない、首尾一
貫しているということです。それが自分らしさであるとい
うような思い込みがあるように思います。
生まれた時も死ぬ時も同じ自分。まあ、確かに名前も、
戸籍も一緒で周りもそういう存在として扱います。私は今
年の九月で七十四歳になりますが、これはもう実感として
というより仕方がないのですが、本当に自分という存在は
ずっと同じようなものだったかというと、首を捻りたくな
ることがあるのです。
周りの人から見れば、単に歳をとっただけの同じ人間なの
かもしれませんが、自分の内面を振り返ってみれば、同じ
あってしかも決して同じではないのです。人生観も、人や
世の中を見る目も大きく変わりました。特に節目節目では
まるで別人のように変わったような気がします。
変わらなければ生きていけないようなこともありました。
生きていくために変わる、そうやって劇的に変わった後で
は、同じはずのこの世というものが全く別の世界に思えて
仕方がないのでした。
私たちは義務教育だけでも九年間、高校や大学も入れると、
十五年以上にわたってベンキョーとやらをやってきました。
私たち夫婦の孫(同居してますが)は小学校三年と一年生
になりますが、一日六時間授業で、おまけに宿題まであり
ます。
その間いろんなことをベンキョーするわけですが、たっ
たひとつ最も大切なことについては教えてくれません。
それは、”なんのために・・・”ということです。多分先生の
中にはその点に疑問を感じてる人も当然あるかと思います
が、文科省から下りてくる指導要領というのでがんじがら
めになっているので思うに任せないのでしょう。
東京大学の医学部といえば、その中でも最も優秀な青年が学
ぶところですが、人体解剖の教室でこういうことがあったよ
うです。ある学生がこういうことを言いました。
「先生、この人体は間違っています」
もちろん人体が間違っているわけがありません、絶対にです。
でも学生はそう考えなかったわけです。
人体が間違っているのではなく、テキストで学んだことが間
違っていたのです。
およそ学習するということはそういうことに他ならないと思
うのです。テキストから学ぶのではなく、人体という厳然たる
事実や現実から学ぶのが学習なのだと思います。
もし不治の病と言われてる病気が治癒したとき、なんといえ
ばいいのでしょう。不治の病じゃなかったんだというか、そ
れとも治ったのが何かの間違いだというか?
人間の歴史をみれば、いろんな過ちの連続です。そんな私た
ちの世の中が何かの拍子で良くなったとき、良くなったのが
間違いで、過ちで多くの人が不幸になっているのが普通で、
普通であるから間違いじゃないんだというのでしょうか?
「ナノ」とは、10億分の1メートルのことですが、二十一世
紀の半導体はそのナノ単位の容量でとてつもなく高度な演算
をし、気の遠くなるようなデータ群を記憶します。
私たちがどんなに寝る間も惜しんで勉強したとしてもコンピ
ューターには敵いません。またその必要もありません。
どんなにコンピューターが精巧になっても人間にはなれませ
ん。どんなに精巧になっても自分の意思で変わることなど
できません。
つまり人間が、つまり私やあなたがコンピューターよりも優
っているのは自分の意思で変わることができるという点です。
もっと幸福になりたいと思ったらそうなれるかもしれません。
それは幸福になりたいと思う意志の力が働くからです。
不幸のどん底にいるあなたと、気持ちを切り替えて幸福の絶
頂にいるあなたは同じあなたなのでしょうか。
不幸のどん底にいる時のあなたの人相と、幸福そうに輝いて
いるあなたの人相は同じものでしょうか?
この世の全てを恨んでいるあなたと、この世の全てに感謝し
ているあなたは、同じあなたなのでしょうか?
不幸になるにしても幸福になるにしても、それが自分の運命
なんだと考えれば、それまでの話になります。でも運命は自
分の力で変えられるし、切り開くことができると考えること
ができるのも人間の持っている力なのだと思います。
熊本の結婚相談所むつみ会は創業してから半世紀以上になり
ますので、その歳月の中で数えきれないくらいのカップルが
誕生しました。
草創期に成婚された方たちは私と同じくらいの年代で、もう
いいおじいちゃん、おばあちゃんになっておられます。私た
ち夫婦の孫はまだ幼いですが、結婚適齢期のお孫さんがある
方もいらっしゃいます。
そんな中で入会された甲斐もなくいまだに独り身に甘んじ
ている方も、、という事実も他方ではあります。
多分結婚相談所むつみ会以外でも婚活をされたのでしょう
が、やはりうまくいかなかったようです。
そうやって一方では素敵な伴侶と出会い、可愛い孫にも恵ま
れた人と、他方では今もって良縁に恵まれず、一人暮らしの
寂しさをかこっている人との違いはなんだったんだろうとよ
く考えます。
それは俗にいう内向的というのと外向的というのとは意味合
いが違いますが、まあ、今までの自分のありかたにこだわり
すぎていると、そんなにこだわりがない人。
考えが内側に向いている人は世界が狭くなりがちになり、逆
に外側に向いている人は、考えようによっては無限に広がっ
ていきます。
結婚というのは外側に向かって窓を開くことであり、家族の
営みというのはそうやってどこまでも自分の世界を広げてい
くことだと思うのです。そうやって自分も変わり、相手も家
族の一人一人も変わっていかなければ、本当の家族には永遠
になれないように思われます。
もし窓が閉じたままであるならば、アカの他人との接点など
できようがないのだと思います。ましてそのアカの他人との
スムーズな結婚生活など望みようがないと思います。
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