さて今まで、幸せな結婚とは何かというテーマについて述べてきましたが、
ここで少々結婚ということから離れて、人というものはどういうときに幸福
を感じるのかという一般的な問題について触れてみたいと思います。
人は自分が不幸だと思うときには幸福を夢見るものですが、幸福な思
いに身も心も暖かく包まれているときには現在に満足して夢を見ること
はないでしょう。もし不幸せをその中で感じるとすれば、その幸せが壊れ
るかもしれないという不安に駆られるときでしょう。
ですからたくさんの人が人生における幸福とは何かについて考えてきま
した。本当の幸福を我が我がものにするにはいかにすべきか。これは人
類の永遠のテーマなのです。
、
ある高名なる作家が知人の子息の結婚披露宴に主賓として招かれま
した。宴は進みやがて作家のスピーチの番がやってきました。
彼はやおらマイクの前に立つと新郎新婦の方を見て一言・・
「十年たって幸せだったら、その時おめでとうと言わせてもらうよ」。
さすが大作家は言うことが違うと、出席者全員が感心することしきりで
あったそうですが、それは「高名なる作家」だから許される特権的発言
でしょう。一歩間違えば折角のめでたい席に水を差す非礼な一言にな
りかねません。
でも作家というのは、人間の心の本質に向かってどこまでもアプローチ
していくのが仕事ですから、ついありきたりの祝辞を述べるのに抵抗感
があるのだと思います。
また、名作「東京物語」(世界中の映画評論家が世界でイチバンの傑作
に選んだこともある)を作った小津安二郎監督が、デビューしたての若か
りし女優、岩下志麻にこう言って聞かせたそうです。
「志麻ちゃん、悲しみを表すのに、悲しい顔しちゃいけないよ。人間の喜
怒哀楽なんてそんな簡単なものじゃないんだ」。
こうなってくるとちょっと何かめまいがしてくるような気がします。
奥深いというか、謎解きみたいな話になります。
そういうわけで、世界の「幸福論」中から趣向を変えて、もっとわかりやす
いアプローチをしてみたいと思います。
まずは私の大好きなバートランド・ラッセル卿(数理哲学者として有名)
によりますと、、、、
今流行りの”自分探し”というのは絵に描いたような不幸になるための
思考法ということになります。
なにせ、1+1は2だが、1+0は1じゃない。なぜなら0になにを足しても引
いても0にしかならない。それが0というものの性質である。
というのが氏の学説でありますから、世の通説をひっくり返すくらいのこと
は朝飯前なのです。
氏はその理合をソーセージの製造機にたとえて説明していきます。
「豚をおいしいソーセージにするために精巧に作られた2台の機械があった。
1台は豚に熱意を持ち続けた結果、たくさんのソーセージを作った。
もう1台は、『豚がなんだ。自分はこんなに精巧な素晴らしい機械なのだ』と、
ソーセージを作るよりも自分のことを研究しようと考えた。
その結果、ソーセージ機に本来の食物が入らなくなると、内部は機能しなく
なってしまった」
つまり、2台目のソーセージ機は、自分に関心を向けて外への関心や熱意
をなくした人間のこと。ラッセルは、
「精神は不思議な機械のようなもので、提供された材料を驚くべき組み合
わせにもできるが、外界からの材料がなければ無力だ」
というのです。だから興味・関心を自分に向かわせるのではなく、外に目
を向けよと説いています。
さてそこでと、、あなたはどちらの方のソーセージ製造機でしょうかね?
次にヒルディという人の言うのは主に労働というテーマについてです。
私たちの日常の大部分を占めているのは労働ですから、その労働があ
なたにとってどういうものであるかは人生に決定的な影響を及ぼします。
感覚的に受動的な通常の状態からぬけ出すためには、常に努力を必
要とする。(第一部)
働きのよろこびは、自分でよく考え、実際に経験することからしか生ま
れない。それは教訓からも、また、残念ながら、毎日証明されるように、
実例からも、決して生まれはしない。(第一部)
われわれは消極的に悪い習慣を捨てようと努力するよりも、むしろ常に
良い習慣を養うように心掛けねばならない。
ちょっとわかりにくいですが、要するに嫌々ながら働いている限り、あな
たは幸せにはなれないだろうと言ってるわけです。労働がハードかそう
でないかではなく、そこに生きがいを感じているかどうかが大切だと言っ
てるのでしょう。もし生きがいを感じているのなら少々ハードでも人は幸
せを感じることができるものだとというのが、彼の主張です。
ということで最後の極め付けはコレ。
フランスの哲学者アラン、(アランはペンネームで、本名はエミール=
オーギュスト・シャルティエです)のコラムより。
七十二歳になった今、いずれも我が意を得たような気がするのですが
、、、いかがでしょう?
、
■知れば知るほど、学びたくなる
■人間は、意欲し創造することによってのみ幸福だ
■幸福だから笑うわけではない。笑うから幸福なのだ
■自分で放ったすべての矢が自分にもどってくる。
自分こそ自分の敵なのだ
■戦いが自分の意志で行われるならば、困難な勝利ほ
ど楽しいものはない
■力いっぱい戦ったあとでなければ、負けたといっては
いけない
■名高い山頂まで電車で運ばれた人は、登山家と同じ太
陽を見ることはできない
、
ただ思うのですが、今現在が幸せで満たされている人たちには当たり前
すぎてピンとこないかも?だとすると、フランスには幸せでない人が多いのかなあ?
、、、なんて今の日本人が言っちゃおかしいかな。
とある識者によると、日本人のGNPは世界で二十二番目だが、幸福度から言えば、
七十番目くらいとか。
幸福度ナンバーワンはフィジーとか、、、あとフィンランドやらブータンやら。
ちなみにフィジーのGNPは日本よりずっと下。そんなフィジーの人々の幸福度
を表すキーワードは、
■分かち合う
■いまここ(先のことで取り越し苦労をしない、過ぎたことでくよくよしない。
今の自分の境遇を他人と比較しない)
■テキトー、アバウト(読んで字の如し)
■依存(困った時は堂々と他人に頼る)
四つとも今の日本人に決定的に欠けていますよねえ。つい笑ってしまいました。
特に依存、、、困った時は堂々と他人に頼る。どれだけそういう人がいるかであな
たの幸福は決まっていく、という感覚が物の見事に今のニッポンの人たちには
欠けているとは思いませんか。
それどころかそういう人は依存心が強い人だと言って馬鹿にされます。誰にも
頼らない独立独歩の精神こそが社会人としての模範的な生き方だと思い込
んでいます。でも、それが諸悪の根源だと思っている人たちがこの地球に現
にいるわけです。そしてその人たちは世界でイチバン幸せそうに見える人たち
なのですね。
(❹へ続く)
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