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結婚する理由が見つからない?
経済的な不安、精神的な課題、学歴、背丈、要望、性格、家族関係、居住地域……。
そんなさまざまな要素を天秤にかけても、「結婚した方がいい」と思えるほど、メリットが重くならない。
そうして時間だけが過ぎていき、気がつけば30代、40代。
すると今度は「子どもが持てるか」「親の介護はどうするか」といった新たな課題も加わり、
人生の選択肢がさらに狭まっていく。
それでもなお、なかなか妥協できない人が多すぎるような気がします。
結婚の決断に本当に必要なこととは
私たち結婚相談所の立場から見ると、結婚を決断する上で本当に大切なことは、
そうした「条件」ではありません。
「結婚しない症候群」と呼ばれる現象の背景には、一体どんな心の動きがあるのでしょうか?
頭でっかちな人生設計の落とし穴
私たちは、小学校に入るころからすでに「冷静に人生を見つめる」クセを身につけてしまっています。
何の苦労もない、予定通りの人生。そんなプランを、まるで設計図のように頭の中に描いてしまう。
でも、人生とは本来、不確実なもの。
どれだけ慎重に設計しても、予想外の出来事や理不尽な災難は、まるで不意打ちのようにやってきます。
世界は、あなたのために都合よく回ってはくれません。
この当たり前の事実を、私たちはつい忘れがちです。
自分では決められないことがあるからこそ
人生には、自分ではどうしようもないことがたくさんあります。
誰かを心から愛しても、必ず報われるとは限らない。
結婚できたとしても、相手がずっと同じ人間でいてくれるわけではない。
だからこそ、自分で決められる部分に関しては、しっかりと自分の意思で選び取るべきなのです。
自分の「ハートビート」に耳を傾けて。
愛する力を失っていませんか?
「条件」にばかり目が行くと、本来結婚の原点である“惚れる”という感情が遠のいていきます。
「竹の柱に萱の屋根、手鍋提げても厭やせぬ」
そんな潔さや純粋さが、今はもう見えにくくなっています。
結婚しないのではなく、愛せなくなっているのではないか?
そんなふうに感じる場面が、現場でも少なくありません。
老後の姿に映る、人生の選び方の差
日本は世界的な高齢化社会。
スーパーのレジ前には、多くの高齢者の姿があります。
けれど、そこには不思議な「差」があるのです。
ある人たちは、いくつになっても凛とした輝きを放っている。
一方で、多くの人はそうではない。
この差はどこから生まれるのでしょうか?
あるショッピングモールでの出来事
ある女性セラピストのブログに、こんな話がありました。
ショッピングモールで、赤ん坊を抱きながら、5歳くらいの男の子を連れた若いお母さん。
男の子がぐずり始め、ついにお母さんは平手打ち。
モール全体が緊張したそのとき、一人のおばあちゃんがそっと近寄って、こう言いました。
「お母さんも大変やねえ。赤ちゃんが生まれてから、夜も寝てないんでしょう?」
「ぼく、よく泣いたねえ。えらいえらい。赤ちゃんが生まれてから、我慢ばかりやったもんねえ。」
そしてお母さんと男の子、二人の頭をなでて、去っていったのです。
その瞬間、お母さんは子どもを抱きしめて泣きました。わんわんと、子ども以上に。
「言葉」ではなく、「体験」が心を動かす
その場面を見ていた女性セラピストは、自分が他人事として何もできなかったことを後悔すると同時に、
そのおばあちゃんへの深い嫉妬を感じたと言います。
ただの言葉ではない。
その言葉の奥にある「体験」と「想い」が、お母さんの心を包んだのです。
そうした振る舞いは、意識して真似できるものではありません。
その人の人生が染み込んだもの。
愛する力を、取り戻す社会へ
こうしたおばあちゃんのような存在が、少なくなってきた。
それはきっと、私たちが「愛する力」をどこかで置き忘れてきたからなのかもしれません。
婚活に必要なのは、条件ではなく、“愛し方”を思い出すことです。
「結婚しない症候群」とは、突き詰めると「愛せない症候群」なのではないでしょうか。
人を愛し、誰かと生きていく。
そこに、人生の美しさと苦しさ、そして喜びがあるのです。
編集後記(結婚相談所の現場から)
私たちは毎日、たくさんの「結婚しない理由」を耳にします。
でも実は、その多くは「愛せない理由」にすり替えられているように思います。
条件の合う人を探す前に、自分の中に眠っている“愛する力”に気づくこと。
その第一歩を、私たちと一緒に踏み出してみませんか?