熊本の結婚相談所むつみ会のブログ

結婚のいろんなカタチ ①屋根裏部屋の新婚さん

風が冷たくなりだす頃、といっても冬支度というほどの
こともない。暖房器具といえば火鉢一つだし、着るもの
ももう一枚重ね着するくらいだった。
ジャンパーなんてない(高級な本革モノしかなかった)。
それどころかセーターもマフラーも手袋に至るまで全部
母親の手作り(既製品は売ってなかった)しかなかった。
だから当然母親が忙しい家庭では、寒いとか冷たいとか
いう問題に対しては、ひたすら我慢の一手しかなかった。
いや確か既製品のマフラーをぼつぼつ目にしだしたよう
な気がするが、子供向けではない。
子どもは、あの頃は徹頭徹尾風の子だったのだ。

そんな季節のある日のこと、坂下界隈の6軒の一つに、
うら若い「お兄さん」と「お姉さん」が越してきた。
引っ越しといっても荷物はリヤカー半分もない。
日曜の午前、その年最期の秋の空が心地よく晴れていた
のを何故か憶えている。
私たち子ども三名の遊び仲間は妙に人懐っこい。
今と違ってゲームはもちろんTVも家にはマイルームもない。
貸本マンガはあるが、小づかいがない。
しかし、何もかも揃っている今の子どもからすれば、信じ
られないくらい、退屈ということを知らなかった。
何もない分、いや正確には余計な刺激が少ない分、
好奇心と想像力と創造力の塊だったのだ。

いつのまにか引っ越しのリヤカーの周囲に興味津々で集ま
って、そしていつの間にか数少ない荷物を一緒になって運
び始めている。
「あらっ、坊やたち手伝ってくれるの?ありがとう」。
「おー元気いいね。これからお隣さんになりますので、
よろしくー。そうだ!昼過ぎには落ち着くと思うから皆
で遊びにおいで」。
「いいわね、おいでよ、きっと楽しいわ」。
「お姉さん」「お兄さん」はまるで屈託がない。
それに二人とも貧しそうな割には言葉遣いが、周りの耳
なれた大人たちの方言丸出しとは違う。
そこはかとなく上品だし、そんなところが妙に新鮮で魅力
的で、ちょっと違う世界の人だった。
だからもうみんな気もそぞろで、お昼過ぎを楽しみにして
いた。

それからというもの毎日のように遊びに行った。
月曜から金曜は「お兄さん」と
「お姉さん」が仕事から帰ってきて、夕食が終った頃、
日曜は昼間から。「お姉さん」がわざわざ呼びに来ること
もあった。
二人の家といっても、屋根裏部屋である。
斜めになった剥き出しの屋根天井は低く、窓もろくに
ない。夜は暗い梯子のような階段をギシギシいわせなが
ら上っていくと、裸電球がポツンと灯っている十畳くらい
のスペースがある。殺風景な部屋にリンゴ箱だけ。
家具類はない、といってもいい。箪笥もない、食器らしい
食器もない。
ちゃぶ台と本棚替わりの”リンゴ箱”が三つ程、近所の八百
屋さんから譲ってもらったのだという。
段ボールが発明される(ある日本人の国際特許品)のはま
だ数年後、りんごなど重量物にも耐える強化段ボールが出
るまでにはさらに数年を待たなければならない。
それまでは板製のリンゴ箱だった。カンナもかけてないざ
らざらで薄手の杉の板をぞんざいに打ちつけた、80cm
40cm四方で高さが50cm程の手頃なサイズのその箱は、
貧しくモノが少なかった時代には、いろいろな用途に重
用された。

「お兄さん」と「お姉さん」が”新婚さん”と呼ばれる何
か特別の間柄であることを知ったのは、しばらくしてから
であった。
母や近所の大人たちがそう言ってたからである。
何かしら特別の関係というだけで、新婚の具体的な意味も
分からなかったし、知りたいとも思わなかった。
仲間とか友だちとか、そんなありふれた意味の範疇で構
わなかった。
当時の小学4年生はまだ無邪気で、男女といえば即恋愛や
性に結び付けるすべも知らなかった。
新婚さんだろうが何だろうが、私たちにはどうでもいいこ
とだった。子どもとも無論違うし、ただの大人たちとも
違った、それはまさに新しい世界であり、未知の匂いが
する空間だった。うら若い男性と女性が一緒に暮らすこと、
肩を寄せ合って生きていることの面倒くさい意味なんて
分かっても仕方がなかった。
ただ一緒に同じ空気を呼吸していた。そしてなぜかそこ
にいると、訳もなく胸がときめき、とても楽しい気持ち
になった。五人で笑い転げて冬の夜を過ごした。

遊びにいくといっても、お菓子が出るわけじゃない。そ
の頃徐々に普及し始めたTVがあるわけでは無論なく、
それどころか炭火の影すらない。うすら寒い屋根裏部屋の
裸電球の下で、私たち、「お兄さん」「お姉さん」と私と
友達二人は、トランプや花札に興じ、尻取りゲームなどで
笑い転げながら冬の夜を過ごした。
ただそれだけ、そう、ただそれだけのことだった。
なのに何故あんなにも楽しかったのだろう?温かだった
のだろう?
未だにこうして目に浮かぶように、耳に聞こえるように思
いだすのはなぜなのだろう?

清貧のすすめという書物がベストセラーになった。私た
ちが憶えているあの新婚の風景は貧しさによって彩られ
ていたような気がする。そしてまた
「あの新婚の風景は貧しさによって祝福されていた」
もしもである、あのとき私たちが凍えていなかったら、お
腹がいっぱいだったら、床に豪華な絨毯があったら、
絨毯の上にふわふわのソファーがあったら、もし天井には
裸電球でなく、シャンデリアが煌めいていたら、
今ここにこうして激しいまでの追憶で胸がいっぱいになる
こともになかったろう。
豊かなのに幸せになれなかったら、もちろん貧しくなった
ら絶対に幸せになっれこない。
でも貧しさの中に幸せを見つけることができたら、それこそ
天下無敵ではないか。
あれから六十年後の現在の私たちを改めて振り返ってみます
とどうでしょう?就活と婚活、
この二つの活のためだけに、自分の一回きりの人生がある
のかなと思ってしまうくらいですね。
判断の基準となっているのは、、、
①物量、②実利実益、③弱肉強食の三つ。
分かりやすいといえば、とてもわかりやすいですね。
今の世の中の、または一人一人の人間を動かしているエネ
ルギーといえば、それだけと言ってもいいくらいです。
そう割り切ってしまえば、世渡りなんて簡単といえば実に
簡単ですね。そのことをとやかく言うつもりはありません。

たとえ貧しくとも新婚は新婚だ、というよりあの頃、新婚
とは貧しいのが当り前だった。文字通りゼロからの旅だち
だった。そんな時代があったのは紛れもない事実です。
あなたのお父さんとお母さんの、いやお祖父さんとお婆さ
んの時代になるのでしょうか?
あの「お兄さん」と「お姉さん」は、愛情さえあれば生き
ていける、誰よりも幸せにもなれる、そう信じていた
に違いません。
だって、あの時私と二人の友だちは確かにあの屋根裏部屋
で、彼と彼女の溢れるような幸せの分け前に預かったの
ですから。あの時代にはそういう幸福のカタチが紛れもな
く存在していたのです。
そうだ、思い出した!
正月には「お姉さん」が貰ってきたのだ。火鉢を・・・。
その火鉢で皆で焼いて食べたお餅の美味しかったこと。

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