人生がフォーマット化され、人はマニュアル
化された。フォーマットとは古代ギリシャ語
で、元になるカタチの事。マニュアルとは手
引のことだ。その昔、日本マクドナルドが急
速な店舗展開の従業員養成のために(しかた
なく)つくったものだ。
どっちも手抜きで均一化を意味している。だか
ら融通が利かず、学習の要素が希薄で、指示待
ちで、受け身だ。そしてそれは”コンビニ人間”
として完成された。日本人いや世界の人々がコ
ンビニ化されるといかがなものになるのか?こ
の際よく思いを馳せてほしい。それともあなた
はもうすでに・・・・・。
村田沙耶香さんの芥川賞受賞小説は、数か国語
に翻訳され、世界的なベストセラーとなった。
人が無機質なコンビニ世界と一体化し、アイデ
ンティティが見失われていく。鶏の唐揚げの味
覚はどうでもよくなり、見かけだけの唐揚げ棒
に舌鼓を打つようになる。核の塵みたいな存在
感。
時代のメーンストリームがそうであるのとは対蹠
的に、サブカルチュアでは日本人は世界を席巻し
ている。しかしサブが接頭になっているのがね。
本物のカルチュアはランダムな造形美のことで、
スピリットを育む。
スピリットは際限のない世界だ。近年の研究による
と眼球を電子顕微鏡で探って行くと脳に達し、
さらにその先にいくと宇宙があるらしい。どうも智
慧というのは宇宙の摂理に由来しているらしいとか
のたまうサイエンテイストも出てきた。
さて話は変わるが、そんななかでの婚活には非常な
困難が伴う。恋愛結婚指向が強いが、恋愛とはラン
ダムな造形美に惹かれる情熱だ。人工美と自然美の
世界の落差。コンビニとは無論程遠く、サイエンス
とも異なる。恋愛のみならず愛情とは、カルチュア
にしてスピリットで、ハートを覚醒させる唯一の生
物学的要因だ。
人は本来、後者(ランダムな造形美)にしか恋しない。
恋愛結婚というが、アイデンティティを見失った男女
はおそらく恋愛のなんたるかさえ分かっているつもり
で、その実分かっていない。それは呆気なく冷めてし
まったときにハッキリするだろう。炎が消えてしまえ
ば、その炎が大きく強ければ強いほど、顔を見るのも
嫌になる。
コンビニ化したハートには、およそ真実の愛が宿るこ
とはない。自分らしさを失った人間に他人を惹きつけ
る力はないし、本当に人を愛するキャパもない。
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