驢馬はおバカな詩人で、
だから大好きでした
、
フランシス・ジャムは驢馬が大好きだった。
なぜかって・・・・・
驢馬はおバカな詩人だから。
僕がフランシス・ジャムに出会った昭和40年代、
日本はまさに高度経済成長のまっただ中でした。
街のあちらこちらにビルが林立し、
その谷間を無数の車が奔流のように走り、
冷房のきいた、総ガラス張りの自動ドアの洒落た
喫茶店も沢山できました。
カラーTVが多くの家庭の居間に鎮座し、
70ミリの映画の大劇場ができました。
活気にあふれ、未来が光り輝いているようでした。
、
豊かさの中で未来は光を
失っていきました
、
でも豊かさと引き換えにおバカな詩人も
いなくなりました。
柊のいけがきに沿って歩いてゆく
優しいロバがいなくなりました。
貧しい人を乗せる、思案顔の、ビロードの眼差しの
くたびれて、打ちひしがれた
優しいロバがどこにもいなくなりました
野山や川や海は荒れ果て、
ふるさとはもう追憶の中にだけしか
存在しなくなりました。
豊かさの中で未来は段々光を失っていきました。
フランシス・ジャムが好きでした。
フランシス・ジャムは驢馬が大好きでした。
なぜかって・・・・・
驢馬はおバカな詩人だったからです。
、
屋根裏部屋の新婚暮らし
、
ビロードの眼差しの、くたびれて、打ちひしがれた
優しいロバのような、まだ恋を知らない女性と男性。
そんな二人がたまたま出会って、愛し合って、ささ
やかな家庭を築いていく。
うらぶれた屋根裏部屋で、家財道具なんてなあんに
もない。凍えるような冬の夜には身体を寄せ合って
暖をとるしかないのです。
それってまるで、フランシス・ジャムが愛してやまな
かったおバカな詩人のようでした。柊のいけがきに
沿ってトボトボと歩いていく優しいロバのようでした。
、
不思議ってのは感謝の気持ち
、
”幸せ”って私たちは気安く言ってしまいますけど、
もっともっと幸せになりたいと私たちは願いをかけま
すけど、そこには一体何があるのでしょう?
人の心って私たちが思ってるよりずっとずっと不思議
です。不思議っていうのは、思うことや考察すること
ができず、説明しようのない事柄に対する感謝の気持
ちを表す言葉です。
私たちは幸せを求めるあまり、”不思議”と無縁になり、
目の前のささやかな出来事への感謝の気持ちを忘れて
いったような気もします。日々の暮らしの中から詩が
なくなっていったのかもしれません。
結婚とは一体どういうことなのでしょう?結婚できな
い人がどんどん増え続けていくような世の中とは一体
何なんでしょう?なんでもないことで、ひび割れが生
まれ、取り返しがつかなくなる愛情とは一体何なんで
しょう?
今そこにある幸せ、今そこにいるかけがえのない人を
心の中でかみしめることをだんだんと忘れていっている
ような気がします。