誰がために鐘はなる
おだやかに弔いの鐘は鳴る。
そしてその鐘は告げている、
あなたのために鳴っているのだと。
英国の詩人ジョン・ダンはそう謳った。
鐘の音は魔物を斥け、神を招くためにあるという。
だから婚礼の幸せな門出を祝って鳴らされる。
しかし詩人は思った。
その鐘の音はなによりこの世の不条理の果てに
滅びゆく人々のために鳴らされるべきだと、、、。
人は何のために命をかけるのだろう?
お金儲けや出世のためにか、、、違う、断じて!
鐘はそんなものを退ける為に鳴っている。
命はただ命のためにだけ命をかける。
愛するものがあれば命なんか惜しいものか。
私の命もあなたの命もない、命は一つだ。
いつから人は命を分け隔てることを覚えたのだろう。
人は世につれ、世は人につれという。
しかしである、いかに歳月が移ろうと
花の色が変わらぬように、
自分が自分に課した掟は変わらない
誰であろうとそれをおかすことはできない。
生死は一如、おだやかに弔いの鐘はなる。
どうかその鐘の音が、
あなたの生きた証でありますように。
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