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歳をとれば、人は思慮深くなるのか?
よく「歳をとると深謀遠慮を身につける」と言われます。
ですが、もしそれが「世界の真実をより深く理解する」という意味なら、
私は自信を持って否定したいと思います。
75年生きてきて痛感しているのは、人が人に教訓を垂れたところで、碌なことにはならないということです。
人の心は、計算ではとらえられない
確かに、経験によって見えてくるものはあります。
でも、それは「機械の扱い方」とか「天気の読み方」みたいな世界の話であって、
人間の心には、そう単純な公式は通用しません。
人の心は、風のように揺れ動きます。
近づけば遠ざかり、笑ったかと思えば涙し、
肯定と否定が交互に訪れ、光と影が入り混じる。
その複雑さに、何年生きても完全には追いつけません。
旅をしても、生死の淵をさまよっても、
本当に大切なことは、子どものころに感じた“あの一瞬のまばゆさ”の中にあるように思えるのです。
「何のためでもない努力」が教えてくれたこと
振り返れば、若かったあの頃――
泣きながら、血をにじませながら、必死に前へと進んでいました。
それは誰のためでもなく、何の見返りも期待せず、
ただ**「ひたむきに生きる」**という意味そのものでした。
今思えば、その一つひとつが、
かけがえのない「生きる意味」そのものだったのです。
「心とは水」――やわらかくあれ
心とは水のようなもの。
あまりに押さえつければ、コンクリートのように固くなる。
長い間、私たちは「強く」「合理的に」「うまくやる」ために、
本当の心を押し殺して生きてきたのかもしれません。
でも、そろそろやめにしませんか?
本当の“生きる心”を取り戻すタイミングは、いつだって“今”からでも遅くありません。
三世代で暮らして思う、結婚の意味
私たち夫婦は結婚して40年以上が経ちます。
今では、次男夫婦と孫たちと三世代同居。
不思議なことに、毎日の生活の中で、
自分たちの子ども時代や子育て時代の記憶がふっとよみがえります。
昔はなんとも思わなかった何気ない瞬間が、
今では宝物のように輝いて見える。
あの時の夫の言葉、子どもの寝顔、
ただ一緒に食べた夕飯――
“人生の意味”なんて、そんなところに転がっているのかもしれません。
「悔い」のある人生でいい
私の父は「俺の人生は悔いだらけだ」とよく言っていました。
でも、私はその言葉が嫌いではありません。
むしろ、「悔いのない人生だった」と言われたら、
どこか白々しく感じてしまう気がするのです。
人間の人生は、きっと**“悔い”があるからこそ、尊い**のではないでしょうか。
結婚は、「幸せになるため」のものじゃない?
結婚した人、していない人、それぞれの人生があり、どちらが良い悪いということはありません。
ただ一つ言えるのは、
結婚には結婚でしか得られない「気づき」があるということ。
それは「幸せになるため」というより、
「自分にとっての幸せとは何か」を体で知るための営みなのだと思います。
一緒に暮らし、すれ違い、ぶつかり合い、笑い合う――
そのすべてが、「人と生きる」ことの意味を教えてくれます。
最後に:結婚は“理屈”じゃない
結婚は、決して「損得」や「条件」で割り切れるものではありません。
相手の肩にそっと手を置くようなやさしさ。
何気ない日常の中にある小さなぬくもり。
そういった「心のやわらかさ」に、
人はひかれ、育まれていくのだと思います。
年齢を重ねた今だからこそ言えます。
結婚は、“生きる意味”に触れる旅のはじまりかもしれません。