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結婚する人が減り、離婚する人が増えている理由とは?
年々、結婚しない人が増え、結婚しても離婚する夫婦が珍しくなくなりました。
また、離婚には至らずとも、「家庭が心の安らぎになるどころか、居心地の悪い場所になっている」という声もよく耳にします。
一体なぜなのでしょうか?
その答えの一つは、「愛する」ということを本当の意味で理解する機会が、少なくなっているからかもしれません。
素敵な夫婦を、近くで見たことがありますか?
もし、近くに理想的なご夫婦や家庭があったなら――
私たちは「結婚っていいものだな」「あんな家庭を築いてみたいな」と、自然に思えるはずです。
しかし現代では、身近にそうした“お手本”が少なくなっています。
誰もが自由に恋愛できるようになった一方で、「どう愛し、どう関係を育てるか」を学ぶ機会は、極端に減っているのです。
「愛」とは、夢ではなく、確かに“存在”するもの
近代まで日本には「恋愛」という言葉も概念もありませんでした。
西洋でも“ロマン主義”が現れるまでは、恋愛は“患い”とされていたのです。
つまり、恋とは「心に取り憑くもの」。
甘い夢や高揚感だけではありません。時には不安も、悲しみも連れてきます。
でも――
本当に大切なのは、**「その人がいなくなって初めて、自分にとってどれほどかけがえのない存在だったかに気づくこと」**かもしれません。
一本の映画に込められた、愛の本質
イタリアの名匠フェデリコ・フェリーニ監督の映画『道(La Strada)』は、まさに“愛するとは何か”を教えてくれる作品です。
粗暴な大道芸人ザンパノと、少し知恵遅れだけど純粋な魂をもつジェルソミーナ。
二人は旅芸人として各地を巡りながら、互いにぶつかり、迷い、すれ違います。
ジェルソミーナは言います――
「私なんて、何の役にも立たない女よ」
でも、道化師アルレッキスは彼女にこう返します。
「道ばたの小石だって、何かの役に立っている。この世にあるものは、みんな何かの意味を持っているんだ」
この言葉に励まされ、彼女はもう一度、傷つけられたザンパノの元へ戻ります。
ですがその旅路の果てには、悲しい別れが待っていました。
愛は、後悔とともに胸に残る
後にザンパノは、街角で耳にしたあの懐かしいトランペットの音に足を止めます。
ジェルソミーナがいつも吹いていたメロディーでした。
彼女はすでに亡くなっていたのです。
その知らせを受けた夜、ザンパノは海辺で号泣します。
男が初めて流した涙でした。
愛されていたことに、失って初めて気づいた瞬間だったのです。
この物語は、決して遠いフィクションではありません。
私たち一人ひとりの人生にも、同じような“すれ違い”や“後悔”があるはずです。
熊本で、あなたに寄り添う「出会い」のかたちを
私たち熊本の結婚相談所は、この物語に出てくる道化師アルレッキスのような存在でありたいと考えています。
誰かの“愛される価値”を見つけるお手伝いをする。
道ばたの小石にも意味があるように、あなたにもきっと、かけがえのない役割がある。
そんなふうに、出会いと結婚を見つめ直せる場所でありたいのです。
人は、愛を知るために結婚する
もし、人生の痛みや悲しみから逃れたいなら、
「誰も愛さない」「誰からも愛されない」ことを選べばいいのかもしれません。
でも、それでも人は恋をし、結婚をし、家族をつくります。
それは、愛することでしか得られない“喜び”や“生きる実感”があることを、心のどこかで知っているからです。
最後に:結婚とは、「流れる赤い血」のようなもの
私たち夫婦も、結婚して40年以上。
子どもが家庭をもち、孫もでき、三世代で熊本の家に暮らしています。
もちろん、良いことばかりではありませんでした。
でも、「愛されなくてもいい」「愛さなくていい」と思ったことは、ただの一度もありません。
人を愛するがゆえに流す涙や、ぶつかってしまうこともあるけれど、
それはとても赤く、あたたかく、生きている証のようなものです。
その「涙」に、意味を与える結婚を
熊本で、私たちはこれまで多くの方の結婚をお手伝いしてきました。
それぞれに、悩みや不安、そして希望があります。
もし今、あなたの心のどこかに「誰かと生きていきたい」という想いがあるのなら、
ぜひ一度、お話を聞かせてください。
あなたの“かけがえのない存在”との出会いを、私たちは心から願っています。