そこからの始まり
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不思議なことですが、七十年前の私のメモリーカードに
はコトバがありません。そこには五感が描く鮮やかな心象風
景だけがあります。
森の近くならアブラゼミの蝉時雨、田んぼのそばならカエ
ルの合唱、海が近づけば胸にしみるような潮騒の調べ。
花冷え、晩春、入梅、残暑、鰯雲、、、それらをオギュンス
タ・ベルクは風景の共感覚と呼びました。風土抜きで日本人
は語れないのだと言いました。
明治の哲学者、西田幾太郎は「場所の論理」という斬新な
切り口で世界をあっと言わせました。
それをうけて、和辻哲郎は「風土」という概念をうちたて、
世界の哲学の常識を変えました。場所や風土という名の
「そこ」がないと、あなたはどこにもいないのです。
グレタ・ツンベリさんは「未来がないのに勉強しても意味が
ない」と言いました。終わりだけがあって未来がない。
グレタさんのいった「未来」とは「そこ」がなくなるとい
うことなのです。「存在」とは「そこ」がなくなるというこ
とに他ならなかったのです。
”そこから先”が問題なのだということを私たちは胸に刻みつ
ければならないのだと思うのです。
家庭や家族の崩壊ということが久しく言われてきました。結
婚とそこから始まる家庭や家族とは子孫を残す、ただそれだ
けの手段で、子孫である子どもたちは社会の理想的な歯車と
なって働く、ただそれだけの存在なのでしょうか?
家庭や家族はいうなれば、第二の『そこ』であり、私たちの
生きている一つの証であり、私たちの未来はそこから羽ばた
いていきます。熊本の結婚相談所むつみ会はそんな人生の第
二の出発点になれればと長年願ってきました。
世の中から結婚できない人が急増し、離婚する人が二組に一
つとなり、子どもたちの顔から、本来あるべき無邪気な笑顔
が消えてなりつつあります。六十年前の結婚相談所というも
のが熊本の結婚相談所であるむつみ会の他には皆無だった時
代より、結婚相談所がいっぱいある今の方が、結婚できない
人がうんとうんと増えているのはなぜなのでしょうね?
結婚という問題ばかりではないようです。私の本籍は菊池市
にありますが住んだことはありません。熊本市で人生のほと
んどを過ごしてきましたが、生まれたのは母の故郷である佐
賀県の唐津市で、そこで七歳まで過ごしました。
妻は長崎の生まれで、同じようにそこで幼少期を過ごしまし
た。過ごした年月は短いのですが、私も妻も最も記憶に残っ
ているのは唐津市と長崎市なのです。熊本が住みにくくて唐
津や長崎が住みやすいということではありません。最も感じ
やすい時期にそこで生まれ育ったからなのでしょう。
でも、もうその故郷はありません。思っただけでも胸がキュ
ンとなるようなあの山や川はその面影も残していないのです。
道路は県道やバイパスになり、時を忘れて遊んだ道筋には自
動車が絶え間なく走り、山や畑や田んぼに分譲住宅がずらり
と立ち並んでいます。もう故郷という「そこ」は思い出の中に
しかなくなりました。「そこ」にいた大勢の懐かしい顔顔顔も
都会に出ていき、散り散りバラバラになりました。
四十三年前に私たち夫婦はめぐりあい、結婚しました。今でも
あの頃のことをよく夢に見ます。それがとても不思議な夢なの
です。