“もしも”があればいいな
若い頃、私はよく「もしも」の世界を考えていました。もしもあの時こうしていたら、もしもあの選択をしていたら、と思うことが多かったものです。でも、歳を重ねるごとに、その気持ちは薄れていきました。
実際、「もしも」と考えてみると、思い出すのは大抵嫌なことばかり。もしそれが良い方向に変わるのであれば素晴らしいのですが、現実はなかなかそう上手くはいきません。過去の出来事には「もしも」がないからこそ、未来について考えてしまうものです。
若い頃、私は未来に夢を抱いていました。仕事も、結婚も。その頃の「もしも」の世界は、私にとって希望の象徴でした。しかし、もし「もしも」があったら、今、この一瞬一瞬は存在しなかったでしょう。今、私のそばには、四十年苦楽を共にした妻、次男夫婦、孫たちがいます。もし「もしも」が実現していたなら、この瞬間のすべてはどこにもなかったという事実があります。それを考えると、何もかもが今、ここに存在していることに感謝しなくてはならないと感じます。
求めたものは一つとして与えられなかった
ある患者がリハビリセンターの壁に残した詩があります。
大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしい、と神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。
より偉大なことができるようにと、健康を求めたのに、より良きことができるようにと、病弱を与えられた。
幸せになろうとして、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、得意にならないようにと、失敗を授かった。
人生を享楽しようと、あらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと、生命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聴き届けられた。
この詩に出会った時、私は涙が止まりませんでした。今の私の心境そのものだからです。「求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聴き届けられた」という部分が、まさに私の人生そのものでした。
幸せの定義とは?
年齢を重ねるごとに、幸せとは何かを真剣に考えるようになりました。若い頃は漠然としていた幸せのイメージも、今では少し違った重みを持って求めるようになっています。
映画「お帰り寅さん」の一シーンで、こんな会話があります。
「ずいぶん賑やかねえ」
「ええ、日本で一番賑やかな通りですから」
「みんな幸せなのかしら?」
「そうですねえ、少なくとも不満はないでしょうね」
もし「不満がない」として、幸せが感じられない場合はどうしたら良いのでしょうか? 逆に、不満があることは不幸せを意味するのでしょうか? 幸せは絵になると言われますが、不幸せな人が幸せを描けるのではないかという考えも浮かびます。
あなたの夢は叶えられるのか?
結婚に夢を持ち続けるあなたに、私は言いたいことがあります。あなたの夢が必ずしも叶うわけではない、ということです。しかし、私はその夢を壊したいわけではありません。大切なのは、あなたにとっての「幸せ」が何であるかということです。
ディズニーの「シンデレラ」の物語には、あのガラスの靴が象徴的に登場します。たった一つのガラスの靴こそがあなたにふさわしいと描かれていますが、私はそう思いません。ガラスの靴は一つだけではないと思います。求めたものがどんなものであれ、それがあなたにとっての「ガラスの靴」になるのです。
結婚や恋愛における高すぎる期待は、結果的に相手に求め過ぎてしまい、素敵な出会いを遠ざけてしまいます。相手に求めるものを減らし、自分が与えられるものを増やすことが、幸せへの鍵だと私は考えます。
結婚相談所の役割
熊本の結婚相談所「むつみ会」は、開業して約60年の歴史を誇ります。その間に誕生したカップルは千組を超えました。結婚してよかったと思える人生、そうでない人生、それぞれの人生がありますが、結婚相談所は、あなたの未来の幸せを売る場所ではありません。むしろ、人生そのものを一緒に歩む場所なのだと思います。
結婚を考えているあなたに言いたいことは、結婚することによって得られるものは、ただの幸せだけではなく、共に歩んでいく人生そのものだということです。