人間として、、、
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人間として、全体としてでなく、人体として、部分として
患者さんを看ているのでは・・・
というさわりにハッと胸をつかれた。
宮内美沙子さんという看護士さんの手になる「木もれ日
の病棟から」は素晴らしい本だった。
恵まれた文才と感性によって鮮やかに医療の現場の模
様が描かれている。
医師の立場から書いた医療本その他は数多いが、看護士
さんの本は記憶がない。貴重な一冊である。
「人間として、全体としてでなく、人体として、部分として・・」
患者さんを看ているのでは・・というのは、
もっとも患者と身近に接している看護士の視点から見えた
医師の姿であり、一看護士としては如何ともしがたい医療の
現場のいつわらざる状況である。
ケア(介護)の専門職である看護士は、医師の専門領域で
あるキュア(医療)に口出しすることはできない。
したとしても患者と日々接するなかでの生々しい声を、虚心に
受けとめる医師は少ない。要するにプライドの塊なのである。
「看」るという漢字は、手と目でできている。手でさわり、眼
と眼を交わし、こころが通じ合ってこそ医療は成り立つ。
それを日々痛感しているのが看護士さんたちなのだが、そ
の肉声が届くどころか、段々遠ざかってゆく。
まるで今の社会全体の縮図を見ているようだ。
人間不在・・・・・。
貧しい老人が、老いた妻の手術の謝礼を渡した。なけなしの
金である。
謝礼と書かれた封筒を、看護士たちの眼前でビリビリっとば
かりに破いた若い医師は、一枚の一万円札をひらひらさせな
がら言った。
なんだよ、俺が救った命はこんなもんかよ。安いもんだな。
さて、、、、、
「人間として、全体としてでなく、人体として、部分として
患者さんを看ているのでは・・・」
というのは婚活の場面でも時折感じられる一面です。熊本の
結婚相談所などではまだしも、首都圏なんかではかなり切実
な問題になっているのでは、なんて思ったりします。念のた
めに言っておきますと、患者さんを、を結婚相手に言い換え
た場合にです。
少なくとも熊本の結婚相談所を半世紀前から続けているむつ
み会では、半世紀前と現在では明らかに結婚や(恋愛も含め
て、何か人間らしい温もりのあるフィーリングみたいなもの
が明らかに希薄になってきているような気がしてならないの
です。
「看」るという漢字は、手と目でできている。手でさわり、
眼と眼を交わし、こころが通じ合ってこそ医療は成り立つ。
まさにその通りなのだと思います。結婚相談所における出会
いも人と人との出会いの場である以上同じことが言えるのだ
と思うのです。
私どもの結婚相談所では、お見合いの日から何ヶ月までにイ
エスかノーの返事を出さなければならないという縛りはつけ
ません。むろん一ヶ月か、もっと早く成婚するケースも少な
くありませんが、一年以上かかるケースも結構あるのです。
決断が早いとか、慎重なとかの性格的な面もあるでしょうが、
それだけではないような気がします。知り合って割合早い時
期に人柄が見えてくる人もあれば、時間をかけて、というか
付き合えば付き合うほどじわじわと人としての味わいが出てく
るタイプの人もあるのです。
自己表現が下手くそと言って仕舞えばそれまですが、自分を
必要以上によく見せようとしないということも言えると思う
のです。私たちとしてはそのあたりのニュアンスがわかってい
るので、もう少し長い目で見てほしいなということがよくあ
ります。
情報量が多いので次から次へと目移りしがちなのはしかたが
ないのかも知れません、そのために”人間不在”になってしまっ
たとしたらヤブヘビということになりかねません。
学歴とか職業とかのステータスがわかりやすい指標になるの
はわからないではありませんが、決してそれだけで人というも
のを判断できないのも否めない事実であると思います。
”トキメキ”がないから、、、というのもよく出てくるセリフの
ようですが、相手のどこら辺に”トキメキ”を感じているのかも
自問した方がいいかも知れません。長続きしない一過性の
”トキメキ”も結構多いようですから、ホンモノなのかどうかの
見極めも必要だと思います。恋愛結婚の離婚率が一番多いよ
うですから、ご用心といったところです。後悔先に立たずと
いうのは結婚のためにあるといって良いくらいですから。
夫婦の姿でもっとも絵になるのは、第一子が誕生する前の束
の間の新婚もそうだとしても、それから十年二十年たち三十年
たって子育ても済んだ老夫婦の労わりあうのに及ぶものはな
いでしょう。そんな老夫婦は始まりは恋愛結婚だったのかも
知れませんが、それよりも気になるのはその後の長い長い人
生行路がどうだったかということです。
そんなに長い年月を大過なく過ごせればそれでいいのでしょ
うか?それはそれで退屈というか、うんざりしてくる人だって
いるはずです。思わぬ突発的な出来事だって生きている以上
は避けられないはずです。
そんな時にものをいってくるのが思いやりだと思います。共
感とか共鳴といってもいいでしょう。相手の苦しみを自分の
ものとして苦しみ、喜びを共に分かち合う。
そういう体験が二人の間にいつのまにか強い絆をうみ、まる
で一心同体のようになったのが、あの老夫婦たちの姿に他な
らないと思うのです。