「名もなく貧しく美しく」という映画は実話に基づいてい
ます。聾唖者同士の結婚でした。この実在の男女の物語を、
数年前亡くなった高峰秀子さん主演で、夫の松山善三さん
がシナリオ化し、初めて監督した作品として有名です。
そんな宿命的なハンデイキャップを背負った夫婦の繊細極
まる夫婦愛を、決してきれいごとに流されず、ただ淡々と描
いた物語が胸を打ちます。
その後も高峰秀子、松山善三というご夫婦はヒューマニズ
ムとは何であるかという深いテーマに挑戦するような作品
を手がけてきました。
そしてまたそれは、著名な女優と、不器用な監督という二
人の私生活を貫いている夫婦の物語でもありました。
高峰さんは女優を廃業した後、数々の素敵な随筆を残しま
したが、その中で確固とした夫婦愛を築いていくまでの様
々な葛藤が鮮やかに描かれています。このご夫婦は自分たち
の私生活を通して、ヒューマニズムという大きなテーマを完
成させていったような気がします。
同じ芸能人夫婦でも南田洋子さんと長門裕之さんの場合は
随分と趣が違ってきます。
でも夫婦の愛情とは何かを思う時、どこかしら深く身につ
まされるものがあります。
認知症になった元女優の妻を献身的に看病する俳優の夫。
妻の名(芸名)は南田洋子、夫の名は長門裕之。もうふた
りとも鬼籍ですが、妻の死後、後を追うように夫も逝きま
した。
この二人は芸能界一のオシドリ夫婦としてつとに有名でし
た。そんな年老いた夫婦の老々介護とプライバシーをさら
け出した勇気ある「美談」がテレビで放送されました。
しかし、美談の番組に対して、全国の女性たちから異議申
し立ての声がわき起こったのです。
さもありなん、長門って亭主は女好きで有名だったのです。
浮いた話には事欠かなかったのですが、それも役者の肥や
しとばかり、女優の妻は責めませんでした。
そんな特殊事情など、一般女性は理解するべくもありませ
ん。くわえて、長門の父親の看護を15年にもわたって、や
ったのか、やらされたのか、実子である長門は妻にお任せ
で、相変わらず遊びまわっていたらしいのです。
いずれにしろ、女優としてのキャリアは家庭に閉じ込められ
てしまいました。亭主より俳優としての格ははるかに上でし
たし、諦めか後悔かそれとも・・・彼女としては穏やかな心
境ではなかったはずです。
そして、最後に老いて病んだ元花形女優の姿をあえて世間の
目に曝した。僕も南田洋子ファンの一人として、正直な所
あの姿を見るのは忍びなかったのを思い出します。
そのことには思い至らなかったのか?
迷いや躊躇いはなかったんだろうか?相
手の気持ちになって考えたことはあったのか、なかったのか?
ある女性が、夫婦なんていいこと悪いこと”まるごと愛せない”
と破綻するしかない、という感想を寄せられていました。
そのひと言かなっていう気もしないではありません。
多分、亭主の長門には”愛妻”の心の内はみえてなかったでし
ょう。TVの画面からも、甘やかされた男の自分勝手さが透
けて見えるような気がしました。
女性たちの過激な一般論は長門の心のうちはよくのぞいてい
るでしょうが、あえていわせてもらえば、彼女たちにも肝心
の南田洋子の心境は見えてなかったような気がします。
見えていないという意味では長門と同類です。
元ファンの一人として確信しますが、あの麗しき女性は夫
をまるごと愛していた。良いも悪いも関係なく、綺麗事で
ない愛し方で。それだけは間違いないと思います。
だからまるごと愛された、幸せすぎる亭主は”完敗”だった。
そしていくつもの周回遅れで、夫は老い衰え、逝ってしま
ったのです。妻の後を追って・・・。
こんな愛し方、あんな愛し方でなきゃだめと決めつけるの
も、あなたなら、こんな愛し方、あんな愛し方でもいいと
大きく受け止めれるのも、あなた。
どっちがいいとか悪いとか、そんなこと誰にもわかりません。
あなたはあなただけの愛し方で愛し、あるいは傷つけ傷つ
けられして、長いドラマを演じていくのでしょう。
僕たち夫婦は結婚して四十年になります。恋人時代、婚約、
新婚時代、やがて二人の男の子が生まれ、大人になり、結
婚して孫が生まれました。その間には僕と妻の母親との永
訣があり、喜びと悲しみがあり、幸せと苦悩がありました。
祝福の声に包まれたかのような夫婦の門出の日々には想像
もできなかった多くの出来事が待ち受けていました。
ハネムーンは蜜のように甘い月日のことですが、月(ムーン)
はいつも満月のままではありません。三日月になったり、
雲間に隠れて闇夜になったり、月食などということだって
あります。
四十年という歳月は夫婦の間の愛情の形も大きく変えていき
ます。否応なしにです。たまには四十年前の燃え上がるよう
な熱い日々を思い出すこともありますが、不思議なことに、
あの時代に戻れたらいいなあ、という気持ちがあるかといえ
ば、それほどでもありません。
老境を迎えた夫婦とは一体何なんだろうと思ったりします。
多分そんなふたりを支えているのは、積み重ねられてきた膨
大な記憶の容量なのかなと思ったりします。そのズシリとし
た重みを共有している感覚とでもいうのでしょうか。
無数の思い出が光り輝くような時間の塵となって、大地に降
り積もっていくような感じです。
昔日の、あの華やぐような、浮き立つような躍動感が、少し
づつ少しづつ、地球の引力というか、自然の摂理のような
ものに導かれて、落ち着くべきところに落ち着いてゆく懐か
しい味わいで、心が満たされていくような感じがしています。
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