人というのはなにかに依存しなければ生きていけない存
在です。もし、人が人に依存できないなら、他の何かに
依存します、必ずです。今のニッポン人の多くが不幸なこ
とにどうやらなんらかの意味で、不毛な依存症に罹ってい
るような気がするのは僕だけでしょうか。
コラムニストのT.O.氏のモットーは名付けてこういうこと
だそうです。”上を向いて歩こう”じゃなくて、
”上を向いてアルコール”
三十代でアルコール依存症になり、十年もすれば間違いな
く人格崩壊だと診察されました。それから二十年断酒を
続けているそうです。
そのコツは何かというと、、、、ナント!
断酒なんてできないと諦める、否悟ること。
なぜなら人は何かに依存することなしに生きることはでき
ないからです。
アルコールに頼れないとすれば、どうするか?
酒以外に依存できるものを探せばいい。
恥ずかしながら言われて初めて気づいたわけですが、ことは
アルコールだけじゃありません。
薬物にはじまり、遊興、浪費、ショッピング、女(男)遊
び、放浪癖、カーマニア、飽食美食、仕事中毒とか活字中
毒とか、最近ではスマホかな。”自分探し”なんてのも多分
その類なのでしょう。まるできりがありません。それは多分
人に頼るのが悪いことだと一途に思い込んでいるからかも。
あまりに多くの人がそうして、のたうちまわるように生き
ているような気もするのです。
自分一個の人格崩壊なら自己責任で済みますが、無差別
殺人とか、ギャンブルとなるとそうはいきません。
特に日本はパチンコ、パチスロ、競馬競輪、宝くじなどま
さに世界に冠たるギャンブル列島(依存症ナント500万人
以上)です。
特にギャンブルなどは周りを巻き添えにします。特に家族で
す。むつみ会結婚相談室にも、夫や妻がギャンブルに狂っ
て多額の借金を負った末に離婚し、血の滲む思いで返済し、
もう一度、人生をやり直そうという方が何人かいらっしゃ
いました。
ギャンブルで家産を潰すどころか、世界史的には国を破滅
させた例だってあります。そんなわが列島に何とカジノだ
なんてトンデモナイ話だと思います。「統合型リゾート施
設」です。賭けは勝っても付加価値に無関係どころか虫食
いになるだけです。それに、三割のテラ銭程度に目がくら
んで、やっていけるほどヤワなショーバイではないですよ
ね。失敗するのが目に見えています。
依存すべきものに依存していない社会は荒れるような気が
します。つまりは本当の幸せとは何かを見失ってしまう。
人はみなそれぞれに欠けた弱いところを持っています。
特に家族、特に夫婦というものは、その欠けた弱いところ
をお互いに助け合い、補い合うものかなと思います。
仲のいい夫婦というものは、双方が欠点の少ない完全な人
格の持ち主であるというより、お互いの欠点を疑いの目で
見るのではなくて、どこか好ましいものとして微笑んで眺め
ている。そんな心の広さがあるような気がします。
こちらが悲しい思いをしている時は、相手も同じように苦
しみ悩んでいる、そういうものなのかな?
人にはみんな過去があります。良い思い出ばかりでは決して
ないでしょう。でも過去のことはすっかり忘れていいのです。
これからが勝負なのです、自分の悔恨も含めてですね。
過去のことはすっかり忘れていい。過ちを犯し、失敗を繰
りかえす。その一つ一つに批判がましい気持ちを持ってい
たら、たまったものではないでしょう。
人間は弱い、過ちを犯し失敗をするたびに、傷つき泥まみ
れになる。でも、その血を拭い泥を払って何度でも強く立ち
直る力をも持っていることを忘れてはならならないと思うの
です。大切なのは過ちてこれを改めることであって、過ちそ
のものをしないことではないと思います。
今のシャバが住みにくいのはどうも、誰かが過ちをするたび
に自他共に過剰反応することではないかと思ったりします。
この年齢になってようやく気付いたことなのですが、人間っ
て幸せになる権利がある、ってより義務があるのではないで
はないかと思うのです。
ぼくたち夫婦は次男夫婦と七歳(男児)と四歳(女児)の孫
と一緒に暮らしていますが、二人の孫の楽しそうな、幸せそ
うな様子を日々眺めていると、周りのみんなも楽しく、幸せ
な気持ちになります。
何も難しいリクツはいりません。今ここに幸せそうな存在が
ある、それだけでいいのです。文句なしにシアワセのオーラ
に満たされるのです。
妻とは結婚して以来随分苦労をかけてしまいましたが、彼女
が生来の楽観家で、いつも鼻歌を歌って苦労を乗り越えてき
たことにどんなに励まされたことか。
僕だけじゃなく、亡くなった母もそうです。今ではまるでゴ
リラのごとき三十代のオッサンになった長男と次男が今の
僕の孫のような可愛い盛りのこと、春先の陽だまりで一緒に
くつろぎながら、「極楽、極楽」とつぶやいているのを聞い
たときの気持ちときたら形容のしようもありませんでした。
大げさに言えば天に向かって感謝したいようなそんな思い
でした。妻と結婚してよかった、元気な子どもたちが生ま
れ育ってくれてよかった。
自分が幸せになれば、それはきっと周りにも波及していき
ます。どんどんと幸せの輪が広がっていきます。
むつみ会結婚相談室には、側から見れば社会的にも、家族
構成も、見た目も、学歴も言うことなしの方も相談にいら
っしゃいますし、そうでない方、ってより何もかもない方
だっていらっしゃいます。
でも面白いことにと言っては何ですが、前者の方が幸せそ
うで、後者の方が不幸せそうかといえば、そうでもないの
です。そして一緒にいるだけで元気のオーラを与えてくれる
ような人は必ずいい人が見つかります。まるで呼び寄せるか
のように。
だいぶ前の話ですが、松葉杖をついた男性が相談に見えまし
た。最初に見た時は正直な話頭が痛いなと思いました。だっ
て僕たちが結婚するわけじゃなく、そうでない赤の他人を紹
介しなければならないのですから。
でも10分も経たないうちに母も私もそういう気持ちは吹っ
飛びました。だってあんなに幸せそうな人には今まで会っ
たことはなかったのです。
案の定、すぐ素敵な女性との巡り合いがありました。ただい
ざ結婚となったとき、ご家族の意向というか反応がどうな
んだろうと心配しましたが、杞憂となりました。
多分ご両親も最初はびっくりされたでしょうが、実際にご
本人に会ってみて、僕たちと同じお気持ちになられたのだと
思います。
強く願ったことは実現するって、いわゆるモノの本には書
いてあるます。でも、あれはことによりけりっていう事だだ
と思います。願えば叶うものなら苦労はないし、第一面白く
もクソもないと思います。
願ったことは当たるも八卦、当たらぬも八卦なら、どうす
るか?目標を追わない、もっといえば、探さない。あなた
が探すのじゃなくて、目標の方があなたを探すのです。
目標を追いかけている間は、きっとあなたは、私だって幸
せになりたい、私にもその権利があると思っている。
それはそれで何も願わないよりいいでしょうが、その上があ
る。私は今シアワセなのだという気持ちです。
そういう気持ちを手にした人は天下無敵です。そういう人は
その目標に逆らうような諸々を心の中に入り込ませない。
そして引き寄せるあなたの方に、目標を、夢を。
但しもちろん今すぐできるってわけじゃないですけどね。
でも今までどうであったにしても、これからが勝負なのです。
運不運を乗り越えて、シアワセは誰にでも等しくやってくるの
だと思います。
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