彼らが本気で編むときは
(映画)、より
*
なんてったってアイドル、
じゃなかった萩上直子監督の渾身の一作らしい。
今回はセクシャルマイノリティってえテーマをドン
とばかりに・・・というのは彼女をよく知らない向きの
セリフかな。
切なくも美しい、余韻に溢れたラストシーンにこそ、
もっとも彼女のメッセージがあるのだと思うべし、かな?
”カタチは後からついてくる”というコピーは誰がつけたん
だろう、とてもいい。
どういう意味合いでも、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイ
セクシャル、トランスジェンダー)というカタチにとらわ
れすぎて、一番大事なものを忘れちゃダメ。
人と人との絆のあり方・・・を言ってる。
男と女、親と子ども、あるいは隣人、とくれば、
セクシャルマイノリテイもありってこと。
一般的かそうじゃないかの違いだけ。
``
僕たちが小さい頃は、学校でも家庭でも「男は男らしく、
女は女らしく」ってしつこいくらい言われたもんだった。
(余計なお世話ジャンって思うけど)
僕の父もそうだったけど、マア、なんと申しましょうか、
ホントに男らしかったのかどうか?
よく夫婦喧嘩するたびに母が愚痴ってたもん。
「うちのトーチャンは男らしくないんだから!」。
あれは定義じゃなくファジーなんだよね。
僕はどうかといえばホモセクシャルまではいかないけど、
なんというかヘタレセクシャルってとこか。
僕も生田斗真みたいに美形だったら、一度くらい
女装して、二本の足を斜めに組んでソファに座ってみたい
たいって思うもん、マジで。
``
台湾なんかではそんなことくそまじめにこだわらないらし
い。それが健常だと思う。日本って国はなんでもかんでも
窮屈に考えて時々息が詰まりそうになるね。
遠回りしたけど、ここで本題に入ると、
つまり「愛情」とは何であるか?
例えば、イエス・キリストが言ってるらしいのは、
他人がしてほしいと思っていることをする。
また、論語で孔子が言ってるらしいのは、
他人がしてもらいたくないと思ってることをするな。
まあ、微妙といや微妙な言い回しだけど、
ここで「自己犠牲の精神」なんてことを、やたら声高に言
いだす輩が出てきたら黄色信号。
マザーテレサは貧しい人を愛せよとは言っても、自己犠牲
をなんてセリフは一言も言ってない。
戦時中のナチスや日本陸海軍の偉い人たちが口癖のように
言ってた、そんな大層な言葉は使ってない。
最近の日本では自己責任と言う言葉が流行ってるけど、
あれも自己犠牲と同義のようなもんだけどねえ。
愛情ってのは編み物のように編んでいくもんなんだろうね。
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