熊本の結婚相談所むつみ会のブログ

父と母の結婚

・・・・・・
うらうらと 山肌に
抱かれて 夢を見た
あの頃の想い出は
ああ 今いずこ
・・・・・・
・・・・・・
晴れた日は 晴れた日は
船がゆく 日本海
海の色は碧く
ああ 夢は遠く
・・・・・
美空ひばり(米山正夫作詞曲)が歌うこの曲が好きだ。
ぼく自身の人生とオーバーラップするからじゃありま
せん。父母の人生とかさなってくるからです。
父は明治生まれで,狭い日本にゃ住みあきたとばかりに
中国大陸に雄飛した。
ちなみに現在の熊本学園大である中国語学校の第一回
卒業生でした。
陸軍軍属の特務機関員として活躍し、その後貿易商に転
身しました。
そういう父の元へ母は嫁いで行きました。
佐賀県の呼子という小さな漁師町から、世界一の大都会
だった上海へ、単身東シナ海を渡って行ったのです。
ちょっと信じられない話ですが。
二十一歳の丁度今の季節だったと聞いております。
``
今でこそ(真の意味における恋愛かどうかは別にして)
恋愛と結婚とセックスがパックになった
”ロマンチック・ラブ・イデオロギー”の時代ですが、
我が国では大正浪漫が入ってくるまで、恋愛という観念
そのものがなかったのです。
母は大正生まれですから、夢多き文学好きの少女として
育ちました。
生まれ故郷の呼子は、佐賀県の日本海に面した小さな岬
の、それでも活気と情趣にあふれた港町です。
ぽんぽん船が出入りする波止場に寄り添うように、木造
の大小の宿が軒を連ねていました。
近隣の地の保養の場でもあったのでしょう。
江戸時代から続く朝市はとみに名が知られておりますが、
旧い銛突きの捕鯨が行われていた、珍しい港でもありま
した。
大漁の捕鯨船が港に入ってくると、弾むように鐘の音が
町中に鳴り響くや、どこそこから人々が集い、
小さな波止場に群衆の大きな塊ができ、大漁を祝う声ま
た声で賑わいました。
``
そんな古き良き時代の娘時代の話をする時だけは母の顔
も声も輝くようでした。
だってその頃の母は貧乏のどん底で僕たちを育てていた
のですから。
藍より青く,というNHKの朝ドラは呼子が舞台になって
いました(ご存知の方はいるかしら)。
そのどこまでも青い海を見下ろす小高い丘の上で、大き
な宿の一人娘だった親友と、未来を語り合い、わけもな
く笑い転げたあれこれ。
そんな想い出に浸る束の間、母は時として不思議な泣き
笑いになったのを、ぼくは今だにやるせなく思うのです。

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