ぼくの大好きな、映画監督の大林宣彦さんは、
ヒトにあるように「土地」にもしわ(皺)があるという。
しわがない土地とは何か・・・
それはなにか無機質なアスファルトのようなひろがりで
しかない。
杜があり、川があり、段々畑があり、神社がある。
それぞれが語り継がれた物語をひめている。
”私の耳は貝のから
海のひびきをなつかしむ”
・・・ コクトー
ぼくのふるさとは海辺なので潮ざいが子守唄代わりだった。
ことばも土地の大切なしわだ。
方言でひとたちはなくしてはならないものを共有する。
標準語でひとたちにとってふるさとはのっぺらぼうに
なった。
しわはその土地の年齢、歴史であり、生きた証しであり、
霊魂でもある。
だからひとたちはことあるごとに、切なくもふるさとを
思うのだろう。
「転校生」などの”尾道三部作”を思い出す。
年々歳々、忘れっぽくなるにつれ記憶に還る。
はじめの三年とおわりの三年とは、きっとつながっている。
そのふたつの歳月のあいだには、ひたすら長い空白の
トンネルが横たわっている。
そしてはじめの三年はキラキラとかがやき、
おわりの三年はそれを穏やかなまなざしで
ずっとずっと見守っている。
ひとたちは血と地という二つのChiでゆたかにつながれ
ていることを忘れないように。
この記事へのコメントはありません。