恋愛の発見
💝
好きと愛してるって
別物だって。
ジェームス・シュチュアートが「シェナンドー」って
いう映画(家族愛を描いた西部劇)で言ってた。
「俺が妻と結婚したとき愛してはいなかった、
が好きだった。
で五年くらい経ってふと気が付くと妻を愛してる俺が
いた、
”好き”がいつの間にか”愛してる”に変わってた。
妻が亡くなってもう十五年になるが、
今も愛してるんだ。」
、、
僕は妻と結婚して四十年近くなりますが、出会って結婚す
るまでの若い一年間、毎日会わないではいられないくらい
だったから当然、熱烈な恋愛だったんだと思います。
ただ付け加えるなら、一口に恋愛という言葉でくくれない
ような、プラスαの何かがあったように思います。
それまでも恋愛経験はあるにはありましたが、それらには
なかったものが確かにあったような気がするのです。
それが”好きだ”ということだったのかな?
恋愛はハシカみたいなものだとか、見果てぬ夢みたいなも
のだとか、そうじゃなかったので四十年続いたのかな?
、、
結婚は人生の、だったか、恋愛の、だったか忘れましたが、
・・・墓場だ!そんな意味合いの警句があります。
そんな言葉が人々の体験から出てくるくらいですから、
多分恋愛と結婚という二つの出来事は、若い人が思うほど
相性ぴったりの関係ではないのかなとも思います。
熱烈な恋愛でなければ結婚でない、というわけではなく、
恋愛らしきものでもいいのかなと。少なくとも一卵性双生
児ではない。
、、
そんな・・・恋愛も知らないままで、ただ家庭を持って
子供を産み育てるだけの一生なんて夢も希望もない。
そんな声がどこからか聞こえてきそうですが、
いやいや、それはまさしくその通りだし、また、
それが当たり前なのだと僕も思います。
恋愛感情がそのまま幸せな結婚につながるのなら、それは
もちろんいうことないです。でもなかなかそうは問屋が
卸さないという現実が一方にあります。
もし問屋が卸さなかった場合に、その恋愛とは何であった
んだろう?なんて考えたことはありませんか。
、、
失恋とか恋愛の破綻とかは、単なる人生における躓きであ
り、ただうら悲しいだけの思い出であり、
未来へのバラ色の夢が風船のように音を立てて破れるとい
うことなのでしょうか?
いいえ、この際はっきりと申し上げますが、そうではない。
結婚は確かに恋愛の一つの結果でありますが、「正解」その
ものではない。恋愛の正解とは、異性を身を焦がすほどに、
周りの世界が一変してしまうほどに、あなたを変えてしまう
その体験そのものなのだと思います。
、、
人間が生きていく途上には「熱情」というものがどこかに
組み込まれています。それに囚われたら最後、小賢しい
リクツとか計算なんてどこかに吹き飛んでしまいます。
そしてそれが、人間がこの世を生きているという何よりの
証しに他ならないのだと思います。
齢を取ると、人生というのは墓場へ続く淡々とした道筋
です。それはそれで悪くないものですが、ふと来し方を
振り返った時、熱情にその身を任せた思い出がなかった
としたら・・・。
それは老いた日々の子守唄のようなものとして、私たちを
慰めてくれます。それはひとたび去って、ふたたび帰って
きません。
そしてつくづくと思うのです。
俺の、私の人生はおそらくこれで良かったのだと・・・。
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