ドーン、ドーンと夜の寒空に遠雷のような音が聞こえてきます。
「何だろう・・・?」というと、
妻が「花火かも」と応えました。
「まさか・・・冬だよ。」
三階のバルコニーに上がると、そのまさかでした。
凍てつく星空に、閃く先から闇に消えてゆく冬の花火は、
まるで夢か幻のようでした。
そういえば最近よく見る夢があります。色つきの映像のよ
うに、夢にしては妙にリアルで、さめた後も残影があるの
です。
”まだ若い僕はなぜか工員(多分小さな工場の)で、一日の
仕事を終えて、ひたすら家路を急いでいます。
小脇には空っぽになったアルマイトの弁当箱を抱えています。
夕焼けに染まった空の下に、下町の家並みがひろがり、その
むこうに二階建てのオンボロアパートが垣間見えます。
吹く風は冷たいのですが、胸中はほっこりとあたたかいのです。
たぶん給料日だったからかもしれません。まあ、それもある
のでしょうけど、実のところ、僕ははっきりと知っている
のでした。
あのアパートの二階の一室で、大きなお腹を抱えた妻がフン、
フンと鼻歌をうたいながら夕食の支度をしているのを。
部屋のドアがひらいて、姿を現した妻が僕を見つけて手を
振らないかな、なんて、、、、僕は両手を一杯にひろげて
返すのに、、、、そう思ってふと気づくのです。
そうだ、僕の方からアパートは判っても、アパートから僕は
判らないんだってことを。
そんなこと当たり前なことなのに、そう思ったら、歩いて
も歩いても、アパートは彼方に佇んだままで、身重の妻はフ
ンフンと鼻歌をうたっていて、僕の心はほっこりで、空はず
っと夕焼けのまんまだったのです。
あの夢は一体何なのだったのでしょう。
ほんの一瞬の出来事だったような気もしますし、その一方
では永遠に続く物語だったような気もするのです。
それにしても、子どもの頃から今までずっと貧しい暮らしの
ままだったのに、どうして夢の中までオンボロアパートが出
てくるのでしょう?こたえは一つで簡単です。
幸せだったから。ほかには思いつきません。貧しいから不
幸せだなんて、豊かになりさえすればって、思ってた頃もあ
りましたけれど、年齢を重ねるにつれ、そんなものじゃない
なと思うようになりました。
貧しいから、家族が肩を寄せ合って生きてきました。苦しい
事があれば皆で分け合いました。だってそうするしかないん
ですから。そして、苦しいことも分かちあえば、こころがぬ
くもりで満たされることを教えられました。
もちろん豊かさが悪いことだなんて思いもしません。その豊
かさをみんなで分かち合うことができれば、、、。
気が付くと、花火の音が途絶えていました。身体が冷え切っ
ていました。傍らを見ると妻がいました。
「寒いね、中に入ろうか」
もう二人の息子は、あの頃の僕たちと同じ年代で、小さな
孫たちと一つ屋根の下で暮らす毎日があります。
