貧困国のひとのために、何か役に立てないかと一念発起した
ある日本人女性がいました。でもその度に自分の無力を痛感
するばかりでした。
それでネパールの少女売春の更生施設で、今一番したい事は何
かという質問をぶつけました。
ほとんどの女性からかえってきた答えは思いもかけない事でした。
それはナント、、、、、!
「お化粧をしたい」
という事だったのです。
彼女たちはお化粧をした事などなかったのです。いらいコス
メをコンセプトにメークアップの職業訓練というソーシャルプ
ロジェクトを起こしました。
そしていまでは、数千人の一般協力者(購入したけど使用し
てみたら気に入らなかった化粧品を提供)や化粧品会社を巻
き込んで、大きな事業になっています。
彼女が目指しているのは、「世界に色を付ける」
ということです。
そのことでやりたい事を見つけ、思いが伝わり、人とつながり
世界が見えてきて、自分と人の色が交わるグラデーションとな
って生まれる、新しい色という「自分らしさ」を発見するとい
うものです。
少し堅苦しいおはなしになりますが、資本主義社会において
豊かであるという事は個人が市場社会のサイクルの中に巻き込
まれるということでもあります。
人が何かをつくる、または為すいう行いは、本来であれば、
それによって思いを伝え、人とつながり、
世界が見えてきて、自分と人の個性が交わり、新しい自分を
見いだしてゆくという「自分らしさ」の表現に他ならないと
思うのです。
しかもそれは、人間愛のようなものと心の深いところでつな
がっています。
ずっと昔は、「生産」というのは「文化」をつくっていくと
いう事でもありました。おおぜいの素晴らしいスキルを身に
つけた職人さんたちがいて、
(家を建てる人とか、美味しい料理を作る人はもちろん、私
たちが日頃身につけるものとか、ちょっとした日用品の類ま
で、その人たちの手作りでした)
私たちが日頃の生活で必要とするもののほとんどを手間暇かけ
てこしらえていたのでした。
その中には、芸術品としか言いようがない出来栄えのものも
たくさんありました
しかし、市場経済の世界ではそれが一転します。
つまり、大きな工場で一括して商品化されるやいなや、そこ
からは一切の個性がはぎとられ、商品価値として、流通してい
きます。
だからつまりは、その流通量に比例するようにして、人のつ
ながりも、思いも、個性もない世界が広がっていくという事
になっていきました
いいかえれば、働けば働くほど、ささやかな報酬の代わりに、
自分が自分で自分でなくなり、孤立していくという落とし穴が
そこには待っていました(自己疎外なんて言います)
阿蘇在住だった詩人、伊藤比呂美さんは、「文学は死んだ」
と嘆きました。文学を芸術や文化におきかえてもいいし、
あるいは、さらに私の日々の仕事や暮らしに言い換えてもい
いかもしれません。
さてそこでです、私やあなたにとってのシアワセとは一体どう
いうことなのか、という話になります。
「幸福」とは一体どういうことなのでしょう。
あなたはどういうときに幸福感をおぼえますか?
それは呼吸のように日常的なものではないのかも、、、とい
う気もします。呼吸はカラダが生き延びるためにしますが、
心が生き生きとするためにはどんなものが必要なのでしょう。
ある著名なアルピニスト(登山家)は、なぜ山に登るのか、
という問いに対して、
「そこに山があるからだ」
と答えました。
その意味は頂上を極めた一瞬の達成感という幸福のことでし
ょう。
ネパールの女性たちもそうなのでしょう。化粧などしたこと
のなかった彼女らが、メークで奇麗になった瞬間のときめき
に、確かな何かをつかんだのだと思います。そういう瞬間と
瞬間の間を幸せな人生ということだってできるのですねえ。
そんなきらめくようなシアワセの瞬間を、味わえないような
よのなかになってきているような気もします。
確かにフシアワセではないけど、だからと言ってシアワセと
も言えるのか言えないのか、それがなんか漠然としている。
だから、時には身も心も燃え尽きるような恋愛をしてみたい
という若い人もいるのかもしれません。
