福島在住の長男のネットでの一言。
「幸福ってのは、周りの風景が変わること」
我が息子ながら、なんかいっぱしの詩人みたいな、どこか
味わい深い心境だなあ〜ナンテ。
そうですよね、風景が変わる、ということは、、、、
単に周りの環境が変わるということだけでなく、自分の心
象(心の中の風景)が変わるということでもあるのだと思
います。
もちろん結婚はその最たるものの一つでしょう。
長い歳月のルーテインライフのが風景が一変することでも
あるといえます。
だからして、若い人たちの慣れ親しんだルーテインライフ
が長くなると、ついついそれが壊れることに、おじげづく
というか、不安になるというか、ということでズルズルと
ってのはよくある話なのです。
とはいえ、このまんまでもなあ、ちょっと私の人生っての
が寂しすぎる気もするし、親だってはたから見て心配してる
みたいだし。
そういうふうに、絶え間なく揺れ動くハートを持て余しなが
ら、ある日とうとう自分に言い聞かせながら、私どもむつみ
会結婚相談室の高い敷居を跨いでしまった。
まあ、てっとり早いハナシそういう方が年々増えてきてるの
かななんて感じています。
でも幸いにというか、僕と妻の、ノンビリした(しすぎた?)
顔を拝んだ途端に、どうもこりゃ案ずるより産むがやすしとは
このことかな、なんて、どうも思われるらしい、のです。
僕たちとしては、なんというか、喜んでいいのか、反省猿
(ご存知ですかねえ、ずいぶん古いネタだし)
になるべきか、一瞬複雑な心境になるわけですけど。
でもやはりここでもって深く心に銘するべきは、、、、、
「幸福ってのは、周りの風景が変わること」
なのかなあ〜って、思うわけです。それなくしてあなたの人生
は全うできない。
好きな人と結婚して、子どもが生まれて、どんどん大きくなっ
て、身の丈も、体重もあなたをいつの間にか追い越して、おじ
いちゃんおばあちゃんになって、孫を甘やかしては、パパや
ママに睨まれたりして、そういうふうにして人生の節目々々が
刻まれて、やっぱり生きてるってのは素敵なことだなあ、なん
て思いつつ、ある日夫婦で顔を見合わせるんですね。
もう一回くらいは、生まれ変わって、こういう人生を堪能して
みるのもアリかな、なんて思ったら、いかがでしょう、あな
たの人生は大成功だったのかもしれない、、、ですねえ。
さてそこで、です、、、、、
あなたや僕にとってシアワセとは何であるのか?
それは、そこに”ある”わけじゃない、、、のかな?と思う
わけです。
そこに”ある”のじゃなくて、そこに”なる”のだと。
あなたとか、僕とかが、です。
アフリカはケニアのナイロビ在住の、尊敬してやまない先輩
は、その機微のようなものを誰よりも熟知しておられます。
そんなとある昼下がりの心境を次のように吐露しておられます。
「日本はまさに人工の社会、人工の世界である
都市に住めば殆ど緑も自然もない
何から何まで人工の中にいて、自然は感じられない
4年前、アフリカを旅し、後に住人となった
アフリカで再婚し、土地の一員となった
村の一角に土地を買い、住み出した
買った雑草地を、畑に変え、野菜、果物、花を植えた
今やバナナをあちこちで巨大な房を付け成長している
パッションフルーツは毎日実を提供してくれる
ヤシの木も大きく葉を広げている
私の寿命のある内に実を付けるだろうか ?
今は植物の緑、花の色々な色に囲まれてる
私は此処を楽園、天国、極楽と信じて疑わない
死んで極楽ってまっぴらごめんと思う
ここは年中温暖で、涼しい風が絶えず吹いている
どんなに赤道の太陽が暑くても、木陰は涼しい
ここでは悪い感情も邪悪な思いも消滅している
西方浄土では全ての死者が、成仏すると言われているが
この世の楽園では、丁度悟った人の様な思いになる
水は井戸水だから安心して飲め
空気は緑と花で浄化されるから美味しく
大地は薬品や化学肥料を使わないから無害で
バナナや野菜は安心して食べられる
ここでは健康保険も社会福祉も無いので
自分の健康、自律生活を自分で確保する
食べ物も出来るだけ自然に近く、加工食品は取らない
私の歳になれば、身体のあちこちにガタがくるものだが
私は今の所、薬も注射も車椅子も要らない
宮澤賢治のアフリカ版の生き方をしている
私は自然を神と見、自然世界を神としているので
アリや蚊の一匹も殺さない様に暮らしている
彼らの世界の中に私が住み、私の世界に彼らも住んでいる
生命は神であり、存在は神が管理されている
誰一人、何もの全てに、神の思いがある
このアフリカでは私は神の中にあり
私の中に神は居られる、」
いかかでしょうか?
特にこのくだりには、ハッとさせられます。
『私は此処を楽園、天国、極楽と信じて疑わない
死んで極楽ってまっぴらごめんと思う、』
極楽は天上にあるわけじゃないし、いつかは行けるわけと
いうわけでもない。まさに、今ここにあるのだ、と語ってお
られる。
いま、ここに、いる自分が極楽にいるように幸せでなけれ
ば、多分永遠にシアワセなんてやってきはしない。
、、、、そう言っておられるわけですね。
(続く)
