”モテるタイプの方は、自分の似姿である兄弟姉妹がなぜモ
テないのか、多分なんとなくわかるような気がしているの
だろうと思います。よく見えている。
それに対してモテない方は、なぜあいつだけあんなにモテ
るのかと不思議でたまらない。全然見えてない。それでつ
いでに、世のなか不公平だなんて愚痴ったらそれこそ笑話に
しかなりません。
(一卵性双生児で)シメントリーの二人が、異性の目から見
た場合にはシメントリーでなくなる。顔は左右対称であるの
がむろん普通ですが、そうではなくて、左右の半分同士が違
う顔になっているようなものですよね。
これってすごくオモロイというか不自然極まる話だと思い
ませんか?、、、、
そうモテる側の方は明るく笑いますが、モテない側の方は
そんなことのどこがオモロイんだと仏頂面をします。
つまり私が言いたいのは、そこのところの差だということ
です。
では「そこのところの差」というのは具体的にはどんな差
なのか?まさにそれなんですよねえ。深くてしかも単純。
率直に言って、自分自身が見えている人はモテるのです。
これはもう間違いようのない真実です。
それは自信と言ってもいいのですが、恋愛に対する自信でも
ないし、誰かに対しての自信でもない。そんなものは実に他
愛のないものです。
その自信は自分のうちに直結する何かなのだと思うのです。
カッコよくなるための本とかモテ指南本とか読んで済むよう
な話じゃない。内面を磨けなんてもっともらしいことを言う
方もいますが、そんなもんでもない。
そんな七面倒臭いことなんか考えなくてもいい。問題はとて
もシンプルなんですね。くそまじめに考えるのもダメ。
まあたいていの場合そこには強い自意識が働いている。自分
では気づかなくても、他人から、特に異性から見ればすごく
感じられる。息苦しいオーラが漂っています。
モテる人にはそれがありません。心の中に余裕みたいなも
の、大きなスペースがある。からっぽと言ってもいい。いい
加減さと言ってもいいのでしょうか。
フラれてナンボ、傷ついてナンボなんていう大らかさがあり
ます。そういう対人的なスペースの大きさを持っている人は、
その分だけ他者との接触可能性を持っています。つまり人
の心がわかるのです。許し合える通路みたいなものがある。
自分を飾らずなくてもいい許容力がある。そんな人って誰か
ら見ても素敵だと思いませんか。
そりゃ相思相愛にかなうものはありませんが、なかなかそう
はうまくいか運ばないのが人生です。どんなに全てが揃ってい
る人でもそうです。
でもはっきり言ってそんなことどうでもよろしいのかなと思
います。自分が好きになった相手から好かれるか、それとも
眼中にないということになるのか、それは運命みたいなもの
として悟ってしまうしかない。
大切なことはあなたが好きになっったという、その厳然たる
事実です。私今までフッたことはあっても、フラれたことな
んかないなんていう人はシアワセな人だと思いますか?
本当に、、、?
私にはどうしてもそうは思えません。なんだか自分の履歴書
をひらひらさせて自慢しているようにしか思えないのです。
肝心なのは、肝心なのは、、、愛する心です。それが原型な
のだと思うのです。一人の人間を心豊かにする主電源がその
時オフからオンに切り替わるのだと思うのですが、いかがで
しょうね。
「愛する、愛したそれで十分だ、人生の暗い襞にそれ以外の
宝石はない」と言ったのはジャンバルジャンですが、誰にだ
って当てはまる言葉です。
確かにモテている時は自尊心が満たされて心地よいものです
が、それだけの話です。それは決してあなたの心の襞の宝石
にはならないどころか、何かほど遠いものに思えるのです。
恋愛がテーマのようになってしいましたが、人生や人間全般
にも同じようなことが言えると思います。
人間ってもんはまことに因業なもんなんですね。調子のいい
時は自分のことしか考えない。自分に不運がめぐってきて、
人にも世間にも見捨てられ、その日その日の苦労をするよう
になると、初めて他人のことも考えるようになり、見るもの
聞くものが身にしみるようになる。
でもそれは残念ながらいい年齢になってのことです。水は流
れてしまい、花は散ってしまった、というところですか。
もう何一つ取り返しがつかない。
でももしも若い時にそういう体験ができたとしたら、なん
て考えしまいます。今までそういう人に出会ったことはあり
ませんけどね。
どうもこの国の人たちはいつしかオンリーワンでなく、ロン
リーワンになってしまっているような気がします。
そのために結婚できない人が世界一多い国になってしまった
のかも?
それは多分、みんなが他人との比較でしか自分の値打ちを測
れなくなったからではないかと思います。
そして小さな我という尺度でこの世の全てを測っっている。
もっとまっとうな尺度や器があるんだぞ、という自然からの
叫びが聞こえなくなっています。
それはいわば小さなあなたなのだと思います。でも本当のあ
なたはそんなものじゃない。
本当のあなたは宇宙のように大きいし、誰だってそんな風に
なれるのだと思います。
(終わり)
