この歌には、僕の父親の想い出が重なってきて
仕方がないのだ。特に「人生は潮の満ち引き・・・」
のくだりになると胸がいっぱいになる。
さだまさしらしく抒情豊かに歌い上げる。
そのなかで浮かび上がる「親父」は、無口で、後ろ
姿で語るような戦中派の、色濃く戦争体験の残像を
ひきずった、ストイックでリリックな人間像だった。
しかし、息子である、さだまさしその人がそうであ
るように、歌と素顔の間に、笑っちゃいそうなイメ
ージの落差があったのだ。
リリック・・?いやいや断然、落語チック。
といって喜劇キャラとは全然違う、
要するに落語のネタにハマる。
兵隊として激戦を戦い抜いた鮮烈きわまる戦争体験
はあっても、それすらも悲哀のネタにはならない。
その点、筋がね入り?天然?いやきっと
DNAというところだろう。
やっぱり親子なんだと思いっきり納得。
さだまさしはあの中村哲さんと、やっぱりという
べきか、親交があったらしい。
「風に立つライオン」という映画は、舞台こそケニ
アで、題材としては長崎大学の熱帯医学研究所から
赤十字に派遣された青年医師の物語である。
しかし、青年医師が現地のゲリラの襲撃の犠牲者と
なる結末など、中村哲さんの姿を彷彿とさせる。
なんでも「花と竜」の主人公、門司港の沖仲仕(港
湾労働者)の元締め玉井金五郎のモデルは作者火野
葦平の伯父で、奇しくもさだの祖父は長崎港の沖仲仕
の組合岡本組の元締めだった。
同じ精神風土の上でやはり肝胆相照らすものがあった
のは頷ける話だ。
ところでその「精神風土」とはいかなるものか、
といえば、
”屈辱や裏切りにあっても、人間としての品位だけは
守り抜こう”
とする生き方というか、心意気ではないかと。
そんな明治維新で大量に生まれた下層階級である、
小作農、士族浪人、博徒、テキヤ(男はつらいよの
寅さん)それから港湾労働者。
