偉そうなことを言うが、己を知るとか、謙譲の徳
ということほど難しいものはない。
願わくば権力の座にすわるものにこそ、何よりも
待望したいと思うのだが、権力闘争の場において
はそういう大きな器が真っ先につぶされる。
昔ある地方選挙の選挙長を頼まれたとき、一緒に
仕事をした某国会議員のベテラン秘書のオッサン
がこんなことをのたまうた。
ウチの先生は宇宙は自分を中心に回っとると思っ
とる、おおかたがそんなもんたい。
そりゃなんですね、みんなアホということですね。
とぼくはいった。
`
代議制という構造はあっても機能しないなら、エン
ストした車と変わらない。そしてそれが事実だ。
結局は人物に尽きる,一体全体他に何があろうか。
学歴偏重の風潮は僕たち団塊の世代から顕著にな
ったように思う。
進学校になると学校は無論,親まで含めて一色に
染められる。
テストの点数でみなが一喜一憂し、それだけで若
者の値打ちが決められる、というのはバカバしい
というか、異様な状況であるのに、それに自らが
気付いていない,という恐ろしさ。
僕らの若い頃は優等生であれば、どんな夢でもみ
れたような気がした。
テストの成績で、全人格を輪切りにするというこ
との弊害がまだ出てくる前だったからだ。
だから出世の階段を上るのに、人格的な要素がス
ポイルされてしまった。最も大切な要素が全く
システムに反映されない世の中の末路など、
想像するだけの値打ちもない。

この記事へのコメントはありません。