熊本の結婚相談所むつみ会のブログ

おくりびと

樹木希林さんの死から半年、内田裕也さんも
後を追った。伝説のロックンローラーももう
生きた屍だったのだろう。

爆発的に売れている樹木希林さんの「一切なり
ゆき」の中にこんな言葉がある。
”人が「死ぬ」と実感できればしっかりと生き
られる。」
そして「生きる」とは、
”人の人生に、命にどれだけ自分が多く添えるか。”
ということになる。

そのどれだけの命の輪の中に本木雅弘さん夫妻
(妻は希林さんの長女也哉子さん)もいる。
彼がこの物語の映画化を思い立ったのには多分
そんな事情がある。

仕事仲間とインド滞在中、日本では体験できな
い日常的な死のカタチに感じることがあったの
だろう。
(ぼくの長男もカルカッタの死を待つ人々の家
にボランテイアに行って以来、まとも?な人生
には生きがいを見出せなくなったようだ。)

彼の眼に一つの言葉が飛び込んできた。
「蛆も命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」
         (青木新門著”納棺夫日記”)

彼は著者にすぐ国際電話をかけ、執筆中の本への
引用の許しを乞うた。そうしてこの作品は最初の一
歩を踏み出した。

病院ではとかくお医者も看護師さんも延命のことし
か頭にない。そこでは死は忌むべきもの以外の何も
のでもない。末期がんで苦しんでいる患者に寄って
たかって頑張っての合唱である。

いたって健康な人たちだってそう。なにか徒らに
死と向き合うことをタブー視する社会通念が罷り通
っている。若い時ならそれでいいかもしれない。

しかし身体が弱り、死が妙に現実味を帯びてくると
そうはいかない。いわば生きることだけでなく、死
ぬことも含めた人生の全体的な意味を見出さなけら
ばならない。

小さな国の国家予算にも劣らない資産家ビルゲイツは
ガンで死ぬ前につくづくと思った。
「俺の人生って何だったんだろう?」
もう西洋的な一面的で合理的モデルでは人類は納得で
きなくなっているのかも。

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