人というものはみんな臆病なのだと思います。
例外はないようです。年の功で、ポーズかそうでない
かくらいは、大体見抜けるようになりますたしね。
肉体が空気によって生存するように、精神はまさに
臆病によって生きているのだと思います。
私たちは勇気にすがってではなく、まさに自らの臆病
さによって生きながらえ、生き延びてきた。
そういう小心翼々のなかで人たちは失敗だらけの道程
を辿ってゆくのだと思います。
しかし人というものはとかく自らを偽り、虚勢を張り
たがるものです。そしてそうである間は息苦しいもの
です。
見た目にも軽やかに、自由に日々を過ごしている人た
ちを何人か見てきた気がしますが、その度に自分も
かくありたいものだと念じたものでした。
`
先だった者のやすらぎが後に続くもの者の不安を静め
るのはいい、と言った人が確かおりました。
人間になるために人はこの世に生まれてきたはずなの
に、思いもかけず人間でなくなる為に生涯を過ごして
きた人のなんと多いことでしょう、もちろん僕も含め
ての話ですがね。
人間でなくなるためにこの世はあったなんてのは、
いくらなんでも言い過ぎかもしれませんが、ホントの
意味で人間らしい生き方を教えてくれる人は、ごくま
れだと言った方がいいかもしれませんね。
なぜかって、誰もかれもがそんな「この世」そのもの
だったからかもしれません。
`
僕はこの九月に七十一歳になりますが、最近では何か
老いぼれるのも悪いことじゃないなと思えるようにな
りました。
そんな「この世」からようやく自由自在の身の上に
なれる。
・・・poemerlike or deadlike
なんていう言葉を、一人になると繰り返したりします。
変わりゆく自分のために、生き抜くための言葉を探す、
ってことはとても大切な気がします。
暮れなずむ空にひとつの言葉がささやかな灯火を点す。
星空の下で眠るように冥途に逝くのも悪くはないが、
曙光のなかで目覚めるように逝くのもいい、
・・・なんてね。

生きるための逃げ
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