初夏のそよかぜに揺れている白い百合の花が好きだ。
すらっとのびたピンクの花びらもいいかなあ。
「、、、歩く姿は百合の花」なんて、きれいな女の人
にたとえられる。
とりわけ野分の後に健気に咲いている姿はこの世のも
のとも思えない。
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小倉の大門にあった70m用の大劇場。
映画「野のユリ」を、その隣りにある小劇場で観たのは
確か中学二年のときだった。
低予算の代表的作品として時々名前があげられるが、
紛れもない佳作である。
だって五十年以上経った今も忘れがたいんだから。
レンタルを探すがみつからない。
もういちど観たい・・・。
この小品を驚いたことに、妻も若い頃観たらしい。
奇縁である。
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ストーリーは至ってシンプル。
なぜかアリゾナの土地を相続した、東独の修道院から派
遣された五人の尼僧が砂漠の真ん中に教会を建てるとい
うお話である。
そこに偶然通りかかった黒人青年ホーマー・スミス
(演じるのはシドニー・ポワティエ、この映画が出世作
で、しかも黒人初のオスカーを受賞)がその騒ぎに強引に
巻き込まれてゆく。
タダ働きどころか、食事も質素を通り越している。
目玉焼き一枚とか、たったの一口、時間にすれば一秒。
涙が出てきそう。
不信心な青年ホーマーが珍しく神様に、殊勝にも手を合わ
せてお祈りをする。お祈りの言葉は、、、
「お肉下さい、プリーズ」
大笑い。ユーモアだけでなく、ほのぼのとした暖かさが全
編に溢れている。
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最初はいやいやながらだったホーマーだったが、心が通じ
合うようになるにつれのめりこんでゆく。
面白いのは厳格なはずだったマザーマリアの口から出る
暴露話だ。
酒飲みで出世のことしか脳裏にない神父のことととか、
神様に向かってお祈りするばかりで、周りの人たちには厳
しいだけというマザー自身のこととか・・・。
堅苦しいミッション秘話ではなく、俗っぽい人間たちの物
語であり、彼らの人間としての成長の物語であり、
そんな人間たちをあたたかく見守り、どこかからそんな彼
女彼らを賛美する歌声が聞こえてきそうな映画。
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そんな物語を彩っているのがゴスペルソング「エーメン」
である。ただひたすら「エーメン」のリフレインであるが、
ワクワクするようなイエスキリスト復活の賛美歌と
なっている。
クソまじめな尼僧たちが敬虔にアーメンととなえていたの
をホーマーが軽快なゴスペルに変えてしまう。
最初はぎこちなかった若い尼僧たちが、ホーマーと一緒に
身体をフリフリ、弾けるような笑顔で、リズムにのって
Amenを繰り返す。
最後にはあの笑顔を知らないマザーまで・・・。
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野のユリという題名は新約聖書マタイ伝からとってある。
福音のなかでも僕もとりわけ好きな一節である。
「またなぜ着物のことで思いわずらうのか。
野の花がどうして育っているか考えてみるがよい。
働きもせず紡ぎもしない。
しかしあなたがたにいうが、栄華をきわめたときのソロモ
ン王でさえこの花の一つほどにも着飾っていなかった」
僕は別にクリスチャンではないがことあるごとに思い出す
言葉だ。七十一年の人生でそんな人と何人か巡り会えた。
僕もその一人になって生涯を終えること出来たらなんて
思っている。

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