なにか秘密があるはずだが・・・
そう思っている矢先、つい見逃してしまいそうな、
一言に目が止まった。
「日ごろの生き方が、
そのまま作品に出るものなんだ」
金塊のようにズシリと重い。
それは彼のような特殊な職業にとどまらない。
ありとあらゆる職種にあてはまる。
いや、あてはまるべきだ。
さて、問題を少々つきつめてみると、
つまりこういうことだ。
彼のそんな、日常と非日常をつなぐ回路を
ファンのひとりひとりが共有できたからでなく、
身につまされたから、というにすぎない。
ぼくたちは彼のように生き、表現することができな
かった、またはしようともしなかった。
「幸福の・・・」をはじめ、山田洋次の作品に常に出
演している女優がいる。いわずとしれた倍賞智恵子だ。
「下町の太陽」でデビュー、日活の吉永小百合
と人気を二分した”永遠のアイドル”
隅田川の土手を歩きながら歌った,主題歌の
あの青空のように澄み切った歌声を思い出す。
最近彼女の新作DVDをよく観る。
そしてそのつど胸が一杯になる。
作品自体にではなく、77歳の元超アイドルが、思いっ
きりスッピンで出演している、
手の甲のシミ痕さえアップで映す。
「うつくしく齢を重ねる〜aging with grace]」
肉体に浮き出た年輪は、そのままこころの年輪に他なら
ない。皺のひと筋ひと筋が、語りかけてくる陰翳にみち
ている。
高倉健というひとりの男性にも、同じ情景が見える。
思えば、当たり前のことを当たり前に生きた、
というにすぎないのだが。
ぼくの70年をふりかえれば、つくづく身もふたもない。
それは70年という「現実」を生きてきただけだった。
「真実」を生きることを知らないまま、ぼくはきっと老
いてゆくのだろう、そのことに抗いながら。

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