ミスユニバースは日本人,タイ人、ホンジュラス人、
シリア人、ウガンダ人、ルクセンブルク人等々・・・
ありとあらゆる人種、民族、地域を超越した美女が存
在することを前提としている。
しかしそんな前提など誰が考えても妄想でしかないし、
タチの悪い冗談だ。
人種民族の数だけ美女がいて、文化の文明の、歴史の
伝統の、島の村の数だけ、恋歌の数だけ、地球は美女が
勢揃いの一大ハッピーランドでどうしていかんのかいな?
そのことにインネンやケチをつけようと、勝手な品定め
を押しつけようと、要するに余計なお世話というやつだ。
なぜそこに序列を持ち込まねばならないのか?
なぜそれは一つでなければならないのか?
序列は、一握りの人間の優越性を、
一つにこだわるのは、その優越性が絶対であることを
示したいからだ。
つまりその絶対的優越の下に絶対的多数の人を膝まづか
せたい、まあ、そういったところかなあ。
それでは、ミスユニバースは何のためにあるのか?
ミスユニバースというねつ造された美の偶像の下に世界
中の女性を”総ブス化”してしまうためにあるのだ、
といって、今こそ私ははばからない。
ついでに言わせてもらうと、本年とって六十一歳の僕の
妻は、誰がなんと言おうと絶世の美女である。
そのことに文句をつけられる筋合いはない。

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