幼い頃、お婆ちゃんが芝居好きで、小屋がかかると(今で
いう大衆演劇)
弁当持参でよく連れて行ってもらった。
桟敷席(大相撲で皆座ってるやつ)で身を乗り出して観た
もんでしたねえ。
ハイライトシーンで役者が見えをきると、観客から合いの
手がかかったりして、観客席と舞台が一体となって、
あれは観ている方のエチケットみたいでもあった。
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そんなお芝居でも、爺ちゃんがよく聴いてた浪曲でも、
東映の時代劇映画でも人気があった演し物に
「沓掛時次郎」という股旅モノ(江戸時代の流れ者のば
くち打ち)があった。
この主人公というのが子ども心にもカッコイイよかった。
エリート・コンプレックスが冷たい上目線だとすると、
こっちの方はいわば下目線、弱者や犠牲者への温かい目線
だと言えますね。
心ならずも、やくざな大人になってしまった自分を、
はるかな空の向こうにいるおっかさんにいつも両手を合わ
せ、(親不孝を)詫びている姿です。
渡世の義理で図らずも斬ってしまった、いまわの際の男の
頼みに命がけで自分の人生をかける姿です。
その前に立ちはだかる無法に白刃をふるって立ち向かう。
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これは劣等感ですね、それも多分日本人にしか分からない
フィーリング。ひと様に迷惑かけている身をいつも気にし
ながら生きている。加害者としての意識過剰。
「名乗るほどのもんじゃござんせん」、
なんて一度言ってみたいセリフ。
日本人的な美学がいっぱいつまってる。
人の地位や肩書や学歴なんかに向けるエリートコンプレッ
クスなんて元々日本人には希薄だったような気がしますね。

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