人は変わらない、時代が変わらない限り、それでいく度
こころが折れそうになったことだろう。
無力感にとらわれたことだろう。
しかしその時代とは人がつくったもの、その通りである。
すると時代が人をつくるのか、
それとも人が時代がつくるのか?
鶏が先か、卵が先か、どうもそんな堂々めぐりの問題では
なさそうだ。
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要するに『時』というものがある。
時代が人をつくるときと、人が時代をつくるとき。
また『人』というものがある。
時代につくられる人と、時代をつくる人。
確かに人が人を変えることはできないかもしれない。
しかし、然るべき人が、然るべき時を得たとき、
時代に化学反応が起きる。
突如として予測可能性の鎖が切れるのだ。
それを昔から人々は”奇跡”と呼んだ。
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勝負はきめるものではなく、決まるもの。
大切なのはソウル、その深さ 広さ 強さ。
勝負は死ぬ時に決まる、また死んだ後に。
そもそも勝負って何なのか。
山は動かせない、山は動くもの。
人は動かせない、人は動くもの。
夢は追わない、夢は向こうからやってくる。
歴史も人の一生も、滅び、そして再生する。
奇跡ほど、ああ、奇跡ほど信じられるものはない。

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