われ鍋にとじ蓋(ぶた)という言葉がある・・・・・・・・。
言葉の響きからして、縁起でもないような,馬鹿に
されたようなマイナスイメージがついてまわる。
だけど昔から言い伝えられるものには、世迷い言もあ
るにはあるが、時と場合に当たって、とても的を射たダ
イナニズムたっぷりなたとえもある。
これは褒め言葉という訳でもないが、男女の中を取り持
つ身としては、リアル感あふれるメッセージなのだ。
どんな人にも、それなりの伴侶があるものだ,というよう
な意味だが、なかなかの含蓄だ。具体的には・・・
①何よりも人間を生身で見ているし、
②侮辱してるようで実は公平感にあふれている。
③それからこれが一番肝心だが,人間はみんな違うという,
のっぺらぼうでない人間観察がある。
これら三つは全部今の娑婆をそのままひっくり返したもの
だと、ぼくは思っている。
しかもそこにはある種の蓋然性がある。
社会的レベルのひずみというのは時として、個人的レベルの
問題性と合わせ鏡のようなところがある。
つまりいざ婚活でも始めるかという場合に、
人間を生身の人間くささで見てないし、公平感どころか,結婚
カースト感さえある。
まあ,そこまでは許容範囲だとしても、ぼくが看過できないの
は三番目だ。
昔は、まあ僕らの世代の上になればなるほどだが、今ならイ
ジメというか、昔の言葉では、(世間から)つま弾きされるよう
な、しょうもない男がいたもんだった。だがそんな男でも、そ
んな男なりの愛嬌というか、自己表現や主張があった。自分
探しなんか無縁の強烈なキャラがあり、周りも仕方のない奴
だと言いつつもどこかで存在感を認めていた。

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