祈り、信じるということ
*
僕は愛とか、風とか、空のひかりとか、陽だまりとか、
雨だれとか、土くれとか、緑のしたたりとか、
喜びとか悲しみとか・・・・・・・・
なんかそんなもん全部ひっくるめて生命現象なんだと、
今では信じている。
そしてそれは、全部ひっくるめて宇宙の奇跡なんだ、
とも思っている。
``
悲哀は一瞬にして歓喜に、憎悪は感謝に、絶望は希望に、
そして喪失さえ再生へと変わる。
宇宙という空間と時間のマクロ軸で測ると
そういうことになる。
偶然は大きな一塊になると、他の言葉に置き換わる
・・・必然という言葉へと。
だから奇跡という出来事も当たり前になると、
それはもう奇跡じゃないのだ。
``
宇宙とはコスモスだが、もっと突き詰め、誕生のドラマ
以前になると、そこにあるのは
偉大なるカオスにほかならない。
生命とはなにか?
カオスの渦の中に生まれた一瞬の秩序、
どうしようもなく儚い、シャボン玉のような閉鎖系だ。
``
だから祈りがあるのだと・・・僕は思っている。
``
長男が小学校5年のとき、不登校になり家に閉じこもった。
家の中にさらにバリケードを築き、食事の時間にも出て
こない。
掃除の最中、妻が大学ノートに綴った日記らしきものを
見つけた。青くなって僕のところへ来た。
そこにはめくっても、めくっても「死にたい」という四つの
文字が、無機的にページを埋め尽くしていた。
それを目にした瞬間僕たち夫婦の心はワープした。
不登校など、他人の風当たりはどんなに強くても、
些細な問題でしかない。
信じようとは思っていたが、そのとき初めて信じることが
できた。信じることの意味を悟った。
``
それまでどん底で開き直れば、思いもかけず道が開ける
ことは知っていたが、
信じることにより「奇跡」ということ、人知が遠く及ば
ない出来事、動かなかった脚が歩き出したり、見えなかっ
た眸に光が溢れたり・・・ということは知らなかった。
信じるとは何か?
疑わないこと・・そんなこというまでもないが、
いうまでもないことがわかっているつもりで分かってない
のがヒトという憐れな存在なのだ。
わかるというのは認識の問題だが、疑わないというのは認
識を超えたレベルの問題なのだ。
``
信じるとは欠片も疑わない事なのだった。
疑われる立場に立てば、1%だろうが99%だろうが、
疑われているという事実においては何の変わりもないのだ。
だから必要不可欠になってくる。
99%から100%へのたった「
1%の限りない飛躍」
が・・・・・・・・。
飛躍が訪れるともに、僕たちはなにも怖れなくなり、
同時に長男も劇的に変わっていった。
``
僕はその「1%の限りない飛躍」を沸点の哲学と名づけて
いる。予測可能性の範囲内だけで人生は終始するわけでない。
大きな分岐点にさしかかったとき、
ときとしてヒトには魂の化学変化が求められる。
💜 💜
もし神様がいるなら祈るだろう。
神様どうか死にゆく者には祝福を、
生きてゆくものにはもっといのちを
他人に優しくなければないというのなら
自分にだって優しくなければならない。
どんな人生だって最期には許せるのがいい。
他人を許せないなら、自分だって許せない。
終点からまだ先に続いている道には、
そうして呪縛から解き放たれた
あなたがいるだろう。
神様どうか死にゆく者には祝福を、
生きてゆくものにはもっといのちを、
もし神様がいるのなら・・・
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
熊本で婚活なら結婚相談所むつみ会へ!
熊本で46年、数百組の夫婦が生まれました。
むつみ会では、お客様一人ひとりに最高のお相手を見つけて頂けるよう
相談員歴20年以上のベテラン相談員がゆっくりしっかり相談にのります。
ぜひお気軽にご連絡ください!
住所:熊本市東区新生1丁目28-2
定休日:月曜日
営業時間:12:00〜20:00(メールでのお問い合わせは24時間受け付けております)
電話でのお問い合わせはコチラ!
TEL.096-365-3778
(ご本人様、代理の方でも、まずはお気軽に電話でご相談下さ
▶料金一覧と入会のご案内はこちら
▶メールフォームからのお問合せはこちら
▶よくある質問はこちら
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
この記事へのコメントはありません。